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事故現場を訪れた藤崎光子さん。手元には、いつも持ち歩く亡き長女の写真があった=25日午前8時46分、尼崎市久々知西町2(撮影・鈴木雅之)
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事故現場を訪れた藤崎光子さん。手元には、いつも持ち歩く亡き長女の写真があった=25日午前8時46分、尼崎市久々知西町2(撮影・鈴木雅之)
藤崎光子さんが今も肌身は出さず持つ長女の写真=25日午前8時54分、尼崎市久々知西町2(撮影・鈴木雅之)
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藤崎光子さんが今も肌身は出さず持つ長女の写真=25日午前8時54分、尼崎市久々知西町2(撮影・鈴木雅之)
事故現場前を通過する電車内で、車掌が頭を下げた=25日午前7時37分、尼崎市久々知3(撮影・鈴木雅之)
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事故現場前を通過する電車内で、車掌が頭を下げた=25日午前7時37分、尼崎市久々知3(撮影・鈴木雅之)

 青空が広がった「あの日」とは異なり、現場は雨に包まれた。尼崎JR脱線事故は発生から18年がたち、追悼慰霊式が営まれた「祈りの杜」(兵庫県尼崎市久々知3)には、早朝から遺族や負傷者らが訪れた。発生時刻の午前9時18分前には、快速電車が事故現場のカーブを減速して通過し、多くの人が亡き人を悼み、鉄道の安全を願った。

 JR宝塚線の快速電車は2005年の事故当日と同様、通勤や通学の乗客で混み合った。現場を通過する前、事故から18年を伝える車内アナウンスが流れた。

 「事故を心に刻み、安全運行に努め、改めてお客さまから安心してご利用いただけるよう全力を挙げて取り組んでまいります」

 静まり返った車内で、同県伊丹市の無職男性(67)はつり革から手を離し、目を閉じて手を合わせた。そして「悲惨な事故が起こらないことを願う。JRは責任を感じ続けて、安全対策を徹底してほしい」と話した。

 長女の中村道子さん=当時(40)=を亡くした藤崎光子さん(83)=大阪市城東区=はこの日午前、事故現場を訪れた。

 当時、中学3年だった孫は2児の父になり、時の流れを感じるという。だが、事故の教訓を後世に伝えるため、JR西日本に求めてきた事故車両の現場への保存は実現していない。

 「18年たっても何も変わらず、事故の風化を感じる。生きる意味を見失いそうになるが、死ぬまでに変えたい」

 同じような事故が報道されるたび、あの日を思い出す。肌身離さず持ち歩いている道子さんの写真を手に「あなたの死を無駄にしないよう、JRには必ず安心安全な会社になってもらうから」と語りかけた。(浮田志保、池田大介)

尼崎JR脱線事故阪神
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