腕時計は血の痕が残り、車の鍵は曲がっている。尼崎JR脱線事故で犠牲になった近畿大3年、下浦善弘さん=当時(20)=が身に着けていた。あの朝、息子に「気を付けてな」と声をかけて見送った父邦弘さん(74)=神戸市北区=は事故後、「なぜ?」と苦しみ続けた。18年がたち、追悼慰霊式に参列した父は、息子の面影を思い浮かべて静かに目を閉じた。
2005年4月25日午前8時半。3人兄弟の末っ子の善弘さんは、邦弘さんに「先に行くで」と伝えて家を出た。
善弘さんは子ども時代から柔道に打ち込んだ。大学に通いながら農作業を手伝い、当時の宅地建物取引主任者の資格を取得した。公務員になって農業を継ぐ、という人生設計を描いていたという。
自宅での見送り後、父子が再会したのは遺体安置所だった。連れ帰った善弘さんの背中には、車両のガラスが刺さったままだった。取り除き、邦弘さんの着物を着せた。
葬儀後、弔問に訪れたJR西日本の垣内剛社長(当時)は額を畳に押し付け、「大事な人生を台無しにして申し訳ありません」と謝罪した。
「息子に何があったのか。どこに乗っていて、なぜ死んでしまったのか」。邦弘さんは、善弘さんの最期について調べるようになった。負傷者や救急隊員、医師、報道機関を訪ね、情報を集めた。
「かけらでも、息子の最期を知ってやることが供養になる」と思った。事故から1年3カ月後、善弘さんが2両目から運び出される写真を見つけた。
迎えた事故2年の追悼式では、遺族代表のあいさつを担った。
「普段通り電車に乗っただけなのに、事故に遭い痛い思いをして、体育館で会えた時、息子は亡くなった後でした。言葉を交わす機会さえ、事故に奪われた」
「JR西は、二度と事故を起こさない会社に生まれ変わらなければならない」
◇
事故5年の日は「生きていたら25歳。お酒も飲んだだろうから…」と、現場に缶酎ハイを供えた。
同じ悲しみを抱く遺族とともに、業務上過失致死傷罪に問われたJR西歴代3社長の裁判を傍聴し、同社と話し合いを重ねた。憤りやストレスで心身をすり減らし、事故7年の時、突発性難聴になり左耳が聞こえなくなった。
事故から10年、取材に対してこう語った。「今後はJR西との関わりを減らし、事故前の生活を取り戻したい。息子も許してくれると思う」
その後も朝晩、仏壇に線香を立てて手を合わせる。善弘さんと一緒にするはずだった農作業も続けてきた。しかし昨年、脳梗塞を発症し、50日近く入院した。年齢を重ねるにつれ「体がついていかなくなった」とこぼす。
事故から18年、社会で惨事の記憶が薄れていくのを感じる。一方で、自宅で保管している遺品は今も、生々しく事故を語る。
腕時計、鍵、「下浦」と書かれた小銭入れ…。「見るのがつらい」と思うが、「これは、善弘がおった印」とも思う。小さな鍵に触れながら「曲げようと思っても、曲がらへん。そんだけの衝撃があったんや」とつぶやいた。
今年の25日は、事故が起きた午前9時18分に現場で黙とうするため、朝早く家を出た。「38歳やな」と善弘さんの年齢を数える。もう二度と、こんな悲しいことが起きてはならない。「安全第一は絶対に」。言葉を絞り出した。(中島摩子)
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