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亡くなった山内美輝さんの写真やノートを手に思いを語る母親=尼崎市内
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亡くなった山内美輝さんの写真やノートを手に思いを語る母親=尼崎市内
加害者の元少年から届いた手紙に目を通す山内美輝さんの母親=尼崎市内
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加害者の元少年から届いた手紙に目を通す山内美輝さんの母親=尼崎市内
2015年3月に尼崎市内の踏切に侵入し亡くなった山内美輝さん=2014年3月、中学校卒業式で撮影
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2015年3月に尼崎市内の踏切に侵入し亡くなった山内美輝さん=2014年3月、中学校卒業式で撮影

 「怖い」と叫ぶ声を聞きながら、なぜ押し続けたのか-。兵庫県尼崎市内の踏切で2015年3月28日、高校1年の山内美輝さん=当時(16)=が、乗っていた自転車をオートバイで並走する元少年に押され、電車に衝突死させられた。事件から8年が過ぎた今年3月、元少年は刑務所を出て、遺族は動向を把握できなくなった。命日には手紙が届いたというが、美輝さんの母(60)の問いに対する答えは返ってきていない。

 先月28日。尼崎市の美輝さんの自宅には、幼なじみや中学・高校時代の友人、友人の母親、教師らが次々に訪れ、手を合わせた。窓の外では、事件当日と同じように桜の花びらが風に舞っていた。

 「中学の卒業式で『写真撮ろう』って声かけてくれたのは美輝だけやった」。仏壇の前の机を囲み、時に笑い話を交えて在りし日をしのんだ。部屋の明かりは、夜遅くまで消えることはなかった。

友達ではなかった

 事件は15年3月28日夕、尼崎市のJR宝塚線の踏切で起きた。当時16歳の元少年は無免許でオートバイを運転し、美輝さんの自転車を足で押して時速49キロ前後で並走。途中で突き放し、遮断機の降りた踏切に進入させた。美輝さんは通過電車にはねられ、命を落とした。

 元少年は傷害致死などの罪に問われ、裁判では美輝さんが大声で「怖い、怖い」と繰り返す中で、自転車を押したとされた。16年12月、神戸地裁で懲役4年以上6年以下の不定期刑の判決が言い渡され、その後確定した。

 美輝さんの両親は損害賠償を求めて提訴し、19年4月、元少年と母親が賠償金を分割で37年間支払い、毎年命日に現場で追悼し、遺族に手紙を送る-との内容で、神戸地裁尼崎支部で和解した。

 美輝さんと元少年は中学の同級生だったが、美輝さんの母は「顔は知っているけど、友達ではなかった」とする。

 事件前に何があったのか。当時、美輝さんと元少年を含む5人がいて、商業施設から踏切近くの公園に移動していたとされる。元少年は「早く着こうと思った」と説明したというが、他の3人は事件に至った経緯を話さず、真相は「分からないまま」という。

消えない苦しみ

 山内家には、重い空気が流れた。父はソファに座って無言でたばこを吸い、テレビを眺めた。母は30年以上続けた看護師の職を辞した。人の生死を左右する現場で、当時の精神状態では責任ある仕事はできないと考えた。何より、裁判で息子の無念を晴らすことに専念したかった。

 家族は元の生活を取り戻そうとしたが、やり切れない思いを抱えて、ちょっとしたことでけんかになった。「生きたかったという息子の声、私たちの苦しみはこれからも消えない」と、母は声を詰まらせる。

 先月28日、元少年から出所後初めて手紙が届いた。元少年は家裁の少年審判や地裁での刑事裁判で「起きたことは仕方ない」「傷つける思いはなかった」などと語り、「被害者に嫌がるそぶりはなく、承諾があった」と主張していた。

「一生背負って」

 手紙には「最初は責任から逃げることを考えていたが、刑務所の中で自分が犯した行動の重さなどを考えた」という趣旨の内容が書かれていたという。

 「本心であれば、一生背負い続けてほしい。大切な美輝を奪ったことを忘れないでほしい」。美輝さんの母は、手紙の端を握ってつぶやく。

 元少年は成長し、顔や体つきが変わったかもしれない。近くに住んでいる可能性もある。本当に更生しているのか。「出所後も定期的に刑務所で教育を受けさせるような制度が必要ではないでしょうか」

 美輝さんの母は、あの日から桜の花びらが舞う様子を見るのがつらい。亡くなった息子が涙しているように見えるからだ。なぜ美輝なのか、なぜ自転車を押し続けたのか。「何があったのか、彼(元少年)が本当の気持ちを話さないと、ちゃんと反省なんてできないはず」と呼びかける。(篠原拓真)

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