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南圭祐さん(右)と母久美さん=豊岡市
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南圭祐さん(右)と母久美さん=豊岡市
ホームの端の坂道を下り、線路を越えて、バス乗り場へ出る=JR和田山駅
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ホームの端の坂道を下り、線路を越えて、バス乗り場へ出る=JR和田山駅
ホームの端の坂道を下って線路を通り、バス乗り場へ向かう南圭祐さん=JR和田山駅
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ホームの端の坂道を下って線路を通り、バス乗り場へ向かう南圭祐さん=JR和田山駅
ホームの端の坂道を下って線路を通り、扉を出た南圭祐さん=JR和田山駅
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ホームの端の坂道を下って線路を通り、扉を出た南圭祐さん=JR和田山駅
南圭祐さん(右)と母久美さん=豊岡市
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南圭祐さん(右)と母久美さん=豊岡市

 進行性の難病のある兵庫県豊岡市の南圭祐さん(15)はどうしても、その学校に通いたかった。ただ、自宅からの距離は約40キロ。病の特性から寄宿舎に入れない。列車通学しようにも、スクールバスが発着する駅にはエレベーターがなかった。そこで、JR西日本が一計を案じた。(丸山桃奈)

 4人きょうだいの3番目に生まれた圭祐さんは、小学3年生で「シャルコー・マリー・トゥース病」と診断された。末梢神経の損傷で、主に手足の機能の一部が不自由になる病気だ。

 出生時から体が極度に柔らかく、すぐに転倒してしまう。小学校に入学後、自分のペースで歩けるようになったが、次第に自力歩行が難しくなり、外出に車いすが欠かせなくなった。症状は重く、同じ病状は日本で5人しかいないという。

 きょうだいと同じ学校に通いたいと、小中は地元の公立校に通った。中学は特別支援学級に在籍しながら、給食や副教科は通常学級で過ごした。

 2022年秋、病気が進行する中で自立して就労の力を付けたいと、特別支援学校への進学を決意した。オープンキャンパスと一日体験で各校を回り、ひかれたのが県立和田山特別支援学校高等部(朝来市和田山町竹田)だった。豊岡から遠いため他校の提案も受けたが、意志は揺るがなかった。あまり願望を見せてこなかった圭祐さんの強い思いに、母久美さん(50)ら家族も「生きていることを楽しんでほしい」と寄り添った。

 同校では肢体不自由で、通学が難しい児童生徒は寄宿舎で生活する。圭祐さんは就寝時に呼吸器を付けるが、自身で着脱できないため、看護師が夜間にいない寄宿舎に入れなかった。

 通学しか方法はない。だが、厳しい現実を突きつけられた。JR和田山駅にはエレベーターがなく、ホームと改札口を結ぶ跨線橋を渡るために車いすを担いで階段の上り下りを補助してくれる駅員も足りなかった。「但馬では車いすで通学する壁はこんなにも高いのか」「皆と同じように通いたいだけ」。駅の事情も理解したが、圭祐さんと久美さんは悔しさで涙をこらえきれなかった。

 姫路や神戸の特別支援学校も視野に入れたが、願書の提出期限が過ぎていた。「圭祐が体を動かせる間にいろんなことを経験させたい」。本人の気持ちを第一優先。久美さんは仕事を辞めるか、短時間勤務にし、片道40分を1日2往復する送迎を覚悟した。

 一方で、久美さんは圭祐さんが通学できるよう、学校を通じてJR西と協議を進めていた。吉報が届いたのは今年2月。3月のダイヤ改正で、圭祐さんが乗る列車の停車位置が駅の南西側にあるバス乗り場寄りに変更されることになった。

 下車後は跨線橋を使わず、ホーム南端のスロープから車いすで線路に降り、社員用踏切を渡って柵の扉からバス乗り場に出る方法が提案された。JR西は圭祐さんの通学に合わせて駅員の勤務態勢を組み直し、踏切の安全確認と車いす補助を担うことで、エレベーターがなくても列車通学が可能となった。

 JR西によると、但馬地域で車いす利用者が列車通学する例は、圭祐さんが初めて。これまで乗降駅にエレベーターがない場合は、別の駅からの派遣駅員を含む4人で車いすを担いで階段を上り下りするか、乗り降りしやすい近隣の駅を利用してもらうなどしていた。対応を調整してきたJR豊岡駅の田村徳巳企画助役は「エレベーターを設置するのが一番だが、ない場所でどう安全に駅を利用してもらえるかを考えた」と話す。

 4月、圭祐さんの列車通学が始まった。仕事を続ける久美さんは「JR西の温かい思いをしっかり受け取った。3年間通うことが恩返し」と圭祐さんに伝えた。「何があっても通いきる」と決意を見せた圭祐さんは続けた。

 「車いすは僕の足だから」

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