■甲子園大会 明石商7-6八戸学院光星
夏の甲子園で初のベスト4入りを決めた明石商。快進撃を感慨深げに見守るのは、明石市内で野球用品店を営む梅田實さん(76)、光一さん(49)親子だ。1979年夏の明石南高、87年春夏の明石高…。用具の修繕で歴代明石勢の活躍を支えてきた。「明石初の優勝を」。大歓声を浴びるナインにひときわ熱い視線を送る。
實さんのおじは、33年の全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)準決勝で延長25回の熱戦を繰り広げた旧制明石中の二塁手・嘉藤栄吉さん(故人)。その影響もあり白球に憧れたが、自身は足のけがや家業の手伝いがあり、中学、高校時代は野球部に入れなかった。
それでも野球への思い入れは強く、69年、明石市内にスポーツ用品店を開業。品ぞろえは次第に野球の比重が増え、用具を世話していた明石南高、明石高が甲子園出場を果たした。
「自分が野球をできなかった分、思いを選手に託している」と實さん。熱心さのあまり、明石南高野球部の遠征でマイクロバスの運転手を買って出たこともあった。明石商の狭間善徳監督(55)が明石南高の選手だった頃のことも、「とにかく真面目な選手やった」とよく覚えている。
2000年、店舗の移転を機に野球用品専門店に改装し、長男の光一さんが店を継いだ。明石商の縦じまのユニホームは、同店がデザインの相談に乗った。夏の大会中は毎日、明石商のグラウンドに出向き、部員のグラブやスパイクをその場で手入れ。試合になると欠かさずスタンドにも駆け付けた。
2人は18日も一塁側アルプスから声援を送った。「こうして甲子園で応援し続けられるのも、野球がつないでくれた縁」と光一さん。實さんは「よっしゃ、これでまた明石のまちが元気になる」と目を細めた。(小西隆久、長江優咲)