企業風土は変わったか ー検証 JR西日本
「事故と真摯(しんし)に向き合っていない。信楽のときと同じだ」
二月一日。尼崎JR脱線事故の原因を究明する国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)が開いた「意見聴取会」。JR西日本副社長の丸尾和明の公述を傍聴席で聞いた弁護士、佐藤健宗は脱力感を感じた。
佐藤は一九九一年、滋賀県信楽町(現甲賀市)で起きた信楽高原鉄道事故を機に発足し、鉄道事故再発防止に取り組む「鉄道安全推進会議(TASK)」事務局長を務める。
信楽事故も四十二人が亡くなる大惨事だったが、JR西は捜査に非協力的だった。滋賀県警の内部資料には「各担当者がセクト主義を前面に押し出し、責任転嫁、責任逃れの応酬で、真実の解明に非常に困難を強いられた」と憤りが記される。
聴取会で丸尾は「懲罰的」との批判があった乗務員への「日勤教育」について「大阪高裁で有用性が認められた」と述べるなど、事故調委の指摘に反論を繰り返した。丸尾に委員が突き放すように言葉を投げた。
「あなたの会社は、さまざまな部署の人がいちいちもっともな言い訳をされる。しかし、社会にこたえる鉄道員だという気持ちがあまり見られない」
事故調委も、十五年前に警察が抱いたのと同じ憤りを感じていた。
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「責任逃れ」に終始したともいえる丸尾の公述。それは、JR西内部にも波紋を広げた。
「築いてきたご遺族との関係が崩れてしまった」。切実な現場からの声にも押され、聴取会の翌日、最大労組のJR西労組など三組合が会社に「真意をただしたい」と申し入れた。
経営側と三労組の「合同経営協議会」が本社で開かれたのは、聴取会から五日後の二月六日。丸尾は「(公述は)事故以前の会社の状況について説明しただけ」と釈明し、「現場を混乱させ、不快な思いをさせた」ことについて頭を下げたという。
発言内容自体は「妥当」との認識を今も崩さないJR西。公述に怒った遺族らに対し、社長の山崎正夫は「批判があることは承知している。厳粛に受け止める」と述べるにとどまる。
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「このままの姿勢では、事故調委の最終報告が出ても、信楽の裁判のときと同様、JR西は『面従腹背』になる」
佐藤は懸念する。
信楽事故でJR西は、遺族らが起こした損害賠償訴訟で一、二審と敗訴し、事故から十二年たって、ようやく謝罪の言葉を口にした。それからわずか二年で、尼崎の事故は起きた。信楽の教訓は生かされなかった。
TASKは二〇〇三年から、JR西と意見交換の場を持つ。尼崎事故を経た昨年三月の会合で、佐藤は、ミスから再発防止策を練り出そうと模索する幹部の姿に、安全意識がようやく変わりつつあるとの手応えを感じていた。
「だが、元に戻ってしまった」。丸尾の公述に期待はしぼんだ。
事故後、“変革”を掲げてきたJR西。それを内外に示す機会だった聴取会は、逆に不信感を増幅させる場になった。(敬称略)
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百七人が死亡、五百人以上が負傷した尼崎JR脱線事故は二十五日、発生から二年を迎える。営利優先との批判を受け、事故直後から「安全を最優先する企業風土の構築」を強調してきたJR西日本。その今を検証する。
2007/4/19