人はミスをする 鉄道の安全はいま
尼崎JR脱線事故から今月25日で7年になる。この間、JR西日本に注がれてきた視線を言葉で表すと、こうなる。「JR西日本は本当に変わったのか」。折に触れ、遺族や負傷者たちが投げ掛けてきた言葉でもある。残念ながら、なるほどと思わせるような答えや姿勢はまだ示されていない。求められるのは安全を何よりも優先する企業の姿だ。いま一度、安全について考えてみたい。
「スイスチーズ」をご存じだろうか。欧米のアニメーションでネズミがかじり付いている、あのチーズだ。積み木のように角張っていて、ところどころに丸い穴が開いている。
このチーズが交通機関の事故分析に用いられる。1990年代、英国の心理学者J・リーズンが唱えた理論だ。
チーズを縦に切って並べる。一枚一枚は事故を防ぐための対策で、丸い穴は対策に潜む危険性を表す。穴が全くない状態が望ましいが、実際には漏れやシステムの誤作動などが発生する。
理論では、切ったチーズを並べ合わせたとき、不幸にも穴の位置がぴったり合ってしまうと事故が起きると定義づける。危険性を示す穴がいくつもつながって、ひもが通るように一直線に並んだ状態である。
穴を一直線につなげないためには、どうすればいいのか。「切ったチーズの枚数が多いほど、そして穴のサイズが小さいほど、穴がつながる確率は低くなりますよね」。JR西日本安全研究所の白取健治所長(64)が言った。
対策をいくつも張り巡らし、一つ一つの危険性をできるだけ小さくする。この課題に取り組むのが、所長以下25人のメンバーでスタートした安全研究所だ。文字通り「安全を研究する」組織として2006年6月、JR西日本が発足させた。所長には国土交通省の技術キャリアだった白取氏を招いた。107人が亡くなった尼崎脱線事故から1年2カ月後のことだ。
JR西日本では長年、「事故はミスを起こした個人の責任」ととらえられてきた。国鉄時代から続く徒弟制度で厳しく鍛えられ、技術やプライドをたたき込まれる。一人一人の使命感、責任感。それが安全を担保すると考えられてきた。
だが脱線事故で状況は大きく変わった。なぜ電車は暴走したのか。余裕のないダイヤ、日勤教育などが次々とクローズアップされ、企業の体質が厳しく問われた。個人に重きを置いた精神論は通用しなかった。
「研究所は脱線事故の原因究明に当たるのではなく、二度と悲劇を繰り返さないために、対策を追求し続ける組織として誕生した」と白取所長。メンバーが注目したのは「ヒューマンファクター」という概念だった。
個人を取り巻くさまざまな要因を意味する。教育や指導がストレスを招いていないか、せっかくのマニュアルが逆に現場を縛り付けていないか。身近なレベルで項目を洗い出し、安全をとらえ直した。
浮かび上がった課題をテーマに研究を重ね、新しいシステムや装置の開発、組織の改編などハード・ソフト両面から対策を立てる。「その積み重ねがチーズの穴をつながりにくくする」と考える。
07年3月、研究所は基本的な考え方を冊子にまとめ、社内外に示した。「事例でわかるヒューマンファクター」。人の心の働き、疲労のメカニズム、職場のあり方などを丁寧に説く。
最初の項目に、こう掲げた。「人はエラー(失敗)を避けられない」。すべてはここから始まる。研究所のメッセージだった。(小川 晶)
2012/4/22