「壱發野郎(いっぱつやろう)の会」。大阪教育大付属高天王寺校舎1981年卒の同級生十数人が卒業後「大きなことをやろう」と始めた飲み会がある。年に2回開かれるこの会に京都大教授の山中伸弥さん(50)も、仕事の都合を付けてほぼ毎回顔を出す。
「この会から本当に大きくなったやつが2人も出た」とメンバーの印刷業芳武努さん(50)=大阪市。〝もう一人〟は世耕弘成参院議員だ。
山中さんと芳武さんは高校時代からの大親友。「誠実でお人よし。そして、飛び抜けて優秀だった」と振り返る。医者になるという言葉通り、神戸大医学部に進学した。
大学に入ってからも2人は毎月のように酒を飲んだ。飲み方は豪快で、ビール1ケースを空け、行きつけの店では「空揚げ、全部持ってきて」と注文したことも。
最近はランニングに熱中している山中さん。今年8月の壱發野郎の会では、チャリティーランナーとして参加する11月の大阪マラソンを楽しみにしていた。
あまり仕事の話はしないが人工多能性幹細胞(iPS細胞)について尋ねたことがある。「臨床応用されて、患者さんを救って初めて『成果』だよ」。常に医師の立場を忘れないのが印象的だった。
「意志が固く愚直に一つのことを突き詰め、とことんやる。けれど謙虚で決して偉ぶらない。そういうところを慕って人が集まるんちゃうかな」。多忙な山中さんの体調を気遣いながらも、次の壱發野郎の会を心待ちにしている。
▼右腕の京大・高橋講師「山中先生は第二の父」
人工多能性幹細胞(iPS細胞)が誕生するきっかけになったのは、大学院生時代から山中伸弥教授とともに研究を続けてきた京都大iPS細胞研究所の高橋和利講師(34)の実験だった。
「だめでもともと」の実験で、さまざまな細胞になる能力が備わることを確認。遺伝子を絞り込み、四つの遺伝子だけでiPS細胞ができることを見つけた。高橋講師は「たまたま培養皿に余りがあったので、24個の遺伝子を全部体細胞に入れた」と振り返る。
広島市生まれの高橋講師は、地元の小中学校を卒業後、父から一人暮らしを勧められ、京都の同志社高に進んだ。その後、同志社大工学部で物理を学んだが「僕には難しすぎる」と方向転換、2000年に入学した奈良先端科学技術大学院大で山中教授の研究室の門をたたいた。05年、山中教授とともに京大に移り、06年のマウスiPS細胞、07年の人iPS細胞と、いずれの論文も著者に名を連ねた。山中教授も研究の立役者として、高橋講師の名を挙げる。
「山中先生は第二のお父さん。僕のような王道から外れるような人間が大好き」。心から慕う師匠の受賞に「偉大な研究者の指導を直接受けられ、革新的な研究を最も間近で見られたことを幸せに感じる」とコメントを寄せた。
そして「一丸となって全力で研究を進める」と、これまで以上の二人三脚を誓った。
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