平尾 あけましておめでとうございます。
山中 おめでとうございます。
平尾 僕と先生とのお付き合いは、ちょうど3年ですかね。
山中 3、4年前からになりますね。
平尾 最初は雑誌の取材で、共通の話題はラグビー。同じ世代でラグビーをやっていたことから、つながりが非常に深まった。先生がラグビーを始めたきっかけは何だったんですか。
山中 きっかけは平尾誠二でありまして。
平尾 なんか照れるな。(笑)
山中 高校の体育の授業でラグビーがあって、クラス対抗大会もありました。これは面白いなと。「スクール・ウォーズ」というテレビドラマがあって、ラグビー人気が非常に高かった。だから、大学に入ったらラグビーをしようと。そのときに一番活躍していたのが平尾さんだった。だから平尾誠二にあこがれまして。
平尾 でもポジションは(僕と同じバックスではなく)FW。
山中 それは向き不向きがありますから。(笑)
平尾 先生との共通点はラグビーに加え、神戸と京都という街も大きい。僕は学生時代が京都。京都は飲み屋でもお金がないと出世払い。学生を受け入れる雰囲気があって、非常にいい学生生活を送らせてもらいました。
山中 僕は高校時代の親友が京都にいて、大学のある神戸から泊まりがけで遊びに行ってました。京都は学生さんのパラダイス。神戸と京都では随分雰囲気が違うなと思った。
平尾 僕は神戸製鋼に入って神戸に移りました。神戸はね、いい意味で、素っ気のない街でして(笑)。個人を尊重するところがあって、勝手にしてても許される。だから住むには神戸の方が住みやすかった。
山中 僕は今、(趣味のジョギングで)鴨川沿いを走っていますが、大学のころは北野の異人館の真ん中を走って、下宿から大学まで通っていた。あのハイカラな雰囲気は京都と違いますよね。京都は「和」。神戸は「洋」。卒業後は神戸に行く機会はぐんと減りましたが、最近少しずつ増えてきた。学生時代に行った店とか、すごく行きたくなります。
平尾 僕もそうなんです。おそらく年をとった証拠でしょうね。話は変わりますが、先生はiPS細胞(人工多能性幹細胞)研究、僕はラグビーのチームを率いてます。先生が日頃意識していることは何でしょうか。
山中 研究所にいるのは300人。ぶれないビジョンを常に見せる、共有することをすごく意識しています。最終的なビジョンは研究のための研究じゃなく(iPS細胞の)医学応用を目標に研究しているんだと。そのビジョンを達成するように、環境づくりもやっています。
平尾 僕は研究者ではないですが、研究というものは進めば進むほど深みにはまっていくでしょ。そうすると本来何のためにやってるのかという軸がずれたりしますよね。
山中 すごく、そうなりやすいです。
平尾 だから先生の役目としては、こういう(メディアの)場や、公共的な場でメッセージを発さないといけないと思うんです。回り回って研究員たちが見たとき、「自分のミッションはこれだな」と顧みる。直接話すより効果的な手法だと思います。
山中 そうですね。プロ野球の野村克也元監督や星野仙一監督が、よく選手に直接言わずマスコミを介してますよね。これはテクニックだなと思う。
平尾 僕もよくやっています。別に他人行儀な話じゃなく、違った角度で(上の意向を)感じ取れる機会として大変重要。例えば神戸製鋼ラグビー部の生い立ちとかも、知っているようで意外と知らなくて、新聞とかで見て「あ、こんなチームなんだ」と。大事な刺激だと思うんです。
山中 僕が自分の研究室を持って15年近くになります。最初は(部下に)「こうすればうまくいく」という感じでかなり干渉しましたが、今は人数が多くなったこともあるけども、まどろっこしくてもできるだけ一人一人が考えるように、自分の意識も変えようとしています。平尾さんのラグビーのスタイルがそうでしたよね。みんなでやるまとまった練習時間はそんなに多くなかった。結構影響を受けてます。
平尾 人間と他の動物が違うところは意志があるところ。強い意志を持って事に当たると、人間ならではのすごい力が発揮されると思ってましてね。その機会を与えることが大事だと思っています。ただ、今はそれが難しくなってきてます。
昔はルールを守らせるのに、すごく手間がかかったんですよ。めちゃくちゃな生活スタイルの人も結構いましたし。でもその分、それが力に感じた。今はそれがない。ちゃんとやるんです。ルールは結構守るんですけど、瞬発力がない。継続的な力は発揮するんですが、瞬間的に状況を覆す個人の力が希薄になっている。
山中 そうですね。
平尾 1980年代後半生まれを「悟り世代」というらしいですが、若さというのはそうでなく、冒険的なものが特権であり魅力だと思う。そういうものを今は取り戻してほしいなと思います。
▽山中 伸弥氏(やまなか・しんや)1962年生まれ、大阪府東大阪市出身。81年に神戸大医学部入学。卒業後は臨床研修医から研究者に転身し、大阪市立大大学院医学研究科博士課程修了。米留学などを経て、2004年に京都大教授、10年から京都大iPS細胞研究所所長。06年、さまざまな組織や臓器になる能力を持つiPS細胞作製に世界で初めて成功し、12年にノーベル医学生理学賞を受賞した。趣味はジョギングで昨年の大阪マラソンにも出場した。
2014/1/1














