山中 私はサンフランシスコ(米国)にもちっちゃな研究室を持っていて、年に10回ぐらい行っています。日本も含めて若い人がたくさん来ているんですが、ギラギラしているのは中国や韓国の人たち。「えらくなりたい」「出世したい」と。日本人も僕らのころはそうだったと思いますが、考えが変わってきて「家族で楽しく暮らす方が大切だ」と、留学する人がだいぶ減っている。どっちがいいかは価値観の問題ですが、やっぱりギラギラした破天荒な部分がないと、平均的なことはできても、新たなものは生まれてこないかなという気がします。
平尾 日本も戦後は先進国に追い付け追い越せで、ひたむきに頑張るギラギラ感があった。それが経済大国になって安堵(あんど)したというか、挑戦的な姿勢が衰えた気がします。ギラギラ感を保つには、上の立場になるほど自分に厳しくするしかない。昨年、体罰の問題でコーチングが話題になりましたが、スポーツもそうなんです。日本ではこれまで「やらされる」という外圧的なモチベーションが主流でした。でも、今は「内発的なモチベーション」が非常に重要になっている。自分を自分の意志によって奮い立たす、というものがないと、さらに上には行けない。
山中 サンフランシスコには研究面だけ見ても世界からすごい人たちが集まってくるんです。ギラギラした人たちが集まっている。僕が時差と闘いながら行って彼らに接するというのは「こんなすごいやつが、こんなに頑張ってるんだ」と感じて自分自身のモチベーションをさらに上げることに、すごい役立っているからなんです。
平尾 それは先生の「こいつらに負けたくない」という負けん気もあるんですか。
山中 やっぱり刺激がないと「なにくそ」と思う気持ちが浮かんできませんから。スポーツの世界でもマー君(楽天・田中将大投手)の米大リーグ挑戦には、いろんな意見があるとは思いますが、僕は彼のモチベーションをさらに上げる上で、非常にいいことじゃないかなと思います。
平尾 そうですよね。先生の言う「なにくそ」が今は薄くなっている。取り戻すことが必要な気がしますね。
さて、2019年にはラグビーワールドカップ(W杯)が日本であり、20年には東京五輪とパラリンピックが開かれますよね。僕らスポーツに関わっている人間には楽しみで仕方ない。先生はどんな期待がありますか。
山中 これを機にラガーマン、いろんな競技の日本人選手に史上最高に頑張ってもらいたい。僕たちの研究所が10年にできて、そのときに10年間の達成目標を四つ掲げました。(ゴールが)W杯や五輪を目指す人たちと同じ時期なんです。選手たちはこれからものすごい努力をされると思いますが、僕らも負けないようにと自分自身のモチベーションアップに利用しています。
平尾 僕の周囲では東京五輪を歓迎する人が多いんですが、「これが目標になる」という高齢の人もいるんですよ。「ここまでは生きたい」という生命の力。また、現在競技者の若い人たちの「出たい」という希望の力もある。6年先というのは夢の膨らむ期間。五輪招致はすごく大きな成果だと思うんですよね。
山中 昨年11月に研究交流で訪れたカタールは、22年のサッカーW杯開催が決まって、(インフラ整備などで)世界のクレーンの半分近くが集まっているんじゃないかというぐらいの国家高揚ぶりでした。単なるスポーツイベントの成功ではなく国自身を変えてしまおうと。
日本も50年前の東京五輪で国が豊かになった。でも実は今、大きな危機を迎えている。子供がどんどん減って医療の面だけ見ても献血の血液が大変なことになる。いろんなことを変えていかないと、この国はアジアでもナンバー3とかナンバー4になってしまう。単なるスポーツイベントを成功させるというだけでなく、これを機に日本が光り輝くためにも、これからの5年、6年は本当に大切な時期だと思います。
平尾 僕も本当にそう思います。今までにないような大きな起爆剤になると感じるので、ぜひ成功させたい。
最後に新春にふさわしく、若者へのエールをお願いします。
山中 一つ選ぶとすると、今よりたくさんの若者が、あるいっときでもいいので海外に行ってほしい。単なる語学だけでなく、外から日本を見て、日本人がどういう立場で、どこが優れていて、どこが他国を見習うべきかを感じるのは本当に大切だと思います。
平尾 僕も挑戦的に生きることがすごく大事だと思う。今一番のリスクは、リスクを背負わないこと。安定した生活を期待するのは当然ですが、自分で「俺はこうなりたい」と思い描かないと夢はかなわない。だからやっぱり、志は高く、挑戦的に生きてほしい。もう50歳になりましたが、顧みたとき「生きてきてよかったな」と思う。生まれ変わってもラグビーをするかどうかは分かりませんけどね。挑戦的で危なっかしい決断の方が多かったと思うんですが、一切悔いはありません。
山中 まあ、平尾さんには生まれ変わっても、ぜひまたラグビーをやってもらって。
平尾 いや、次は研究者になりたいと思っています(笑)。iPS細胞を上回るものをつくりたいなあと。
(まとめ・伊丹昭史)
▽平尾 誠二氏(ひらお・せいじ)1963年生まれ、京都市出身。ラグビー日本代表などで不動の司令塔として活躍し、往年のラグビー人気を支えた。京都・伏見工業高校で全国制覇し、同志社大で大学選手権3連覇、神戸製鋼では89年から日本選手権7連覇を達成。W杯には87年から3大会連続出場した。97年から2000年まで日本代表監督。現在は神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネジャー(GM)兼総監督。神戸親和女子大の客員教授なども務める。
2014/1/1














