
高射砲陣地での思い出を語る神足徹雄さん=松江
1945年1月19日午後、63機のB29が明石市に襲来し、川崎航空機明石工場の263人を含む327人が亡くなった(明石市など調べ)。
このうち、旧制和歌山県田辺市立田辺高等家政女学校(現・和歌山県立田辺高校)の生徒は防空壕(ごう)の中で生き埋めになるなどして11人が犠牲に。九死に一生を得た生徒は「爆弾が落ちる地響きを地獄の底にいる気分で聞いた」と手記に残した一方「たまに応戦する日本の高射砲の音はさみしいものだった」とも回想する。
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