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鍛治屋町で行われた防火演習。バケツを持つ男性が見える(1944年、木村二朗さん提供)
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鍛治屋町で行われた防火演習。バケツを持つ男性が見える(1944年、木村二朗さん提供)

鍛治屋町で行われた防火演習。バケツを持つ男性が見える(1944年、木村二朗さん提供)

鍛治屋町で行われた防火演習。バケツを持つ男性が見える(1944年、木村二朗さん提供)

 兵庫県明石市立図書館(明石公園)の一角に、アジア・太平洋戦争中から戦後にかけて、現在の明石市域で作成された公文書が保管されている。変色した紙に残る文言や数字をたどると、ひとたび戦争になれば、市民の暮らしが全面的に押しつぶされていく軌跡が浮かぶ。70年前のまちを知る人たちの言葉とともに、その実相を探りたい。

    ◇

 「国内も戦場です」

 「勝って勝って勝ち抜いて敵を降参させましょう」

 1943(昭和18)年、二見町の「常会」は住民に指令を下した(現代かなづかいで表記。以下同)。常会は町長や町内会長らで構成。食料や物資の配給など市民生活に深く関わり、その意向には従わざるを得なかった。

 「軍艦や戦車、飛行機は決戦下どしどしつくらねば」として、原料の銅やニッケルを含む貨幣や金属類の供出を要請。文鎮、針山、洗面器…と、長大なリストが掲げられた。

 戦争末期、和坂周辺に住んでいた常峰浄子(きよこ)さん(82)=西新町3=は、釜や鍋、火鉢を持ち寄る人たちの姿を覚えている。「こんな(小さな)物で船や飛行機なんかできるかいな」「もう日本は負ける」という会話が交わされていたという。

 「大政翼賛会加古郡支部長」名で各町村への「徹底事項」を示した文書(43年)では、米を「愛国の赤誠をこめて供出」することや、食料増産、兵器生産に向けた節電を要求。市民に耐乏を強いた。

 「国土防衛」の一環として、被災家屋の消火も担わされた。中戸克己さん(85)=西新町1=は「小さなハタキで消火訓練をした」と回想する。

 統制は文化的な面にも及び、同会は「不健全音楽の一掃」を掲げ「国民歌唱運動」を展開。軍歌を推奨した。

 港町の男性(89)は「有事に流行歌なんかあかんと怒られ、軍歌ばかり口ずさんでいた」と振り返る。相互監視は厳しく「近所の人が出征する時は、万歳三唱して見送った。来てなかった、と言われると面倒だから」。

 「兵庫県警察部」は、外国放送を聞けるラジオを持つ者は届け出るよう通知。隠し持った場合は「厳罰」と警告した。市民が政府の発表とは異なる情報に接し、戦況を知ることは厳しく制限された。

 中戸さんや、王子小学校(王子1)の同級生は「神風」と染め抜かれた鉢巻きを締めていた。「今思えば、軍隊の文化に覆われていたんやね」(新開真理)

2015/8/20
 

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