1945(昭和20)年1月初旬、ブーゲンビル島(墓島(ぼとう))で負傷した元陸軍少尉、遠藤毅さん(93)=西宮市=は所属する歩兵第81連隊の拠点、ヌマヌマの病院に入った。
「薬は、磁器に入った『リバノール』という黄色い液体を使った。ガーゼに浸して傷を消毒したら、そのガーゼをまた磁器に戻すんや。補給がないから何度も使い回しで、薬から膿(うみ)のにおいが漂ってくる。治療のたびに気分が悪くなった」
「そのうち、キンバエが傷に産み付けた卵がかえり始めた。1センチぐらいのうじが鈴なりになって膿を吸って痛がゆい。手で払っても取れないから、竹のひごで、血が噴き出すぐらいの勢いでこすり取る。傷の奥にいるやつは、つまようじの長いやつでつぶした」
病院でも、主食はヤシの実から作った保存食のコプラだった。衰弱した遠藤さんは、マラリアにかかってしまう。
「マラリアにかかっても、普通の兵隊は何もしてもらえへん。将校は軍医が薬をお尻に注射してくれる。やけど、それは脈もなくなって、臨終を迎えたときだけなんや」
「礼儀というか、儀式というか。『敬意を払って治療しましたよ』いうことなんやろうな。生きとるときに打っとると、何度も投与せなあかんくなって、とても足りない。だから、死ぬ間際に1本だけ。そうやって死んでいく将校を、僕は20人ぐらい見た」
マラリアにかかった遠藤さんは高熱が続いた。その間の記憶はほとんどない。
「仲間が言うには、軍刀を振り抜いて暴れ回ったから、裸にして台にくくりつけとったらしい。それがだんだんおとなしくなって、『これはもうあかん』ということで、ひもを外された。そうしたら、意識が戻って気が付いたんや。近くにおった上等兵が驚いとるのが目に入った」
「僕は『小便させてくれ』って言った。意識が戻っても、体は動かへんからな。上等兵に、両脇を後ろから抱え上げてもらった。その上等兵も痩せ細っとったのに持ち上がるんやから、体重は40キロぐらいしかなかったんちゃうか。弾に当たってマラリアにもかかって、何で助かったんか。後からいろいろ考えてみた。やっぱり、家で無事を祈っててくれたおふくろのおかげかな」(小川 晶)
2014/8/20