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震災10年 守れ いのちを 第1部 生と死の境

(10)記憶 「線」に隔てられた最期
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 行政では関連死を「認定死」とも呼ぶ。神戸市の弔慰金給付審査委員会には、千二百三十六人分の申請があり、認定されたのは約半数だった。

 震災当日、入院先の病院が停電し、人工呼吸器が停止して亡くなった同市東灘区の住井みち子さん=当時(77)=は、認定されなかった。

 審査では「もともと衰弱し、地震がなくても同様の結果をたどっていた人」には厳しかった。住井さんは死の前日から、既に危篤状態だった。だが、停電しなければどうだったか…。

 別の市の審査委員だった医師は「被災地の皆が地震の影響を受けた以上、皆の死が地震と無関係ではない。弔慰金が支払われる以上、どこかで線を引く必要があった」と振り返る。

 芦屋市の男性=当時(75)=も、震災による停電で人工呼吸器が停止し、亡くなった。市は関連死と認めなかった。しかし、四年がかりの裁判の末、最高裁が震災との関連を認めた。消防庁が公表している六千四百三十三人目の死者となった。

 神戸市須磨区の平川健さん=当時(53)=は、住み込みで働いていたミシン工場で被災した。近くの高校の体育館に避難した。三日後、見舞いに訪れたいとこ、小野昇次郎さん(69)=同市北区=は平川さんのせきを気にした。

 一週間後の夕方、小野さんの悪い予感は的中した。急報を受け、病院に走ると、既に息のない平川さんが救急車で運び込まれたところだった。

 死因は気管支炎。同僚の家で風呂を借り、一人で寝て、そのまま起きてこなかったという。医師の所見には「避難所で風邪をこじらせた」とあった。

 同様のケースで関連死と認められた例はあった。平川さんの場合、申請はなく、震災死者に含まれていない。その事実を小野さんが知ったのは五年後だった。「何とかならんのか」。区役所に訴えたが、どうにもならなかった。

 平川さんには親も妻も子もなかった。災害弔慰金の受給資格者がいなかった。だが、尼崎市などのほか、神戸市でも、受給資格者のいない計七人の関連死が認められている。

 「なぜ」。今となっては、明確な答えは出てこない。

 神戸新聞社の調査では、「肺炎」「心不全」「心筋梗塞(しんきんこうそく)」が関連死の死因の約半数を占めた。

 「実際には、心筋梗塞や脳卒中はもっと多かった」。津名郡医師会の大橋高明名誉会長が言う。

 震災から四月末までの郡内全域の病死者を同会が調べた。心筋梗塞は前年同期の六人から二十八人に、脳卒中は三十一人から五十八人に増えていた。

 「治療の中断による持病の悪化や、心身のストレスなどが原因。震災と関連があるといわざるを得ない」

 だが、自治体が公表する郡内の関連死は四人だ。

 震災死には、引かれた「線」があった。その外にこぼれた死は、知る人の記憶の中にしかない。

(社会部・磯辺康子、森本尚樹、浅野広明)

=おわり=

2004/4/29

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