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震災10年 守れ いのちを 第1部 生と死の境

(9)因果 幾日も過ぎ倒れた人々
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 西宮市今津山中町。小林愛子さん(69)は、夫の陸男さん=当時(64)=と近くの小学校へ避難した。地震の二時間後だったが、体育館の入り口付近しか空いていなかった。寒風にさらされ、二人で震えた。

 すぐに風邪がはやった。陸男さんも変なせきを始めた。地震から十日後の二十七日、急に呼吸困難になった。

 「何で今まで放っといたんや」

 医師は陸男さんをしかった。レントゲンに映る肺は真っ白。肺炎だった。「愚痴一つこぼさん人やったから…」と愛子さん。三日たち、陸男さんは息を引き取った。

 神戸市長田区、神戸協同病院の上田耕蔵院長は地震の数日後、「肺炎患者が増えているのでは」と、うわさを耳にした。カルテを見直すと、その傾向は確かだった。

 「ショックだった。外傷に気を取られ、現場にいる私が気付かなかった」

 上田院長は、震災が原因となる病気を「関連疾患」と名付けた。警察の検視などで確認された「直接死」と区別し、関連疾患などで亡くなった場合は「関連死」と呼ばれるようになった。

 阪神・淡路は、自然災害に関連死の概念を日本で初めて取り入れたケースとなった。被災市町は、関連死の遺族にも弔慰金を支払うことを決め、震災と死との因果関係を審査した。

 そこでの判定基準はどんなものだったのか。ある市に尋ねた。担当者は「文書は残っていない」と返答した。

 ただ、担当者の震災資料ファイルに、一通の内部文書があった。一九九八年六月三十日付で、題名は「関連死認定基準案(事前相談用)」。死者の類型別に「○」(関連死に認定)や「×」(不認定)が記されていた。

 ○は「避難所生活の肉体・精神的疲労」「救助・救援活動の激務」「病院の機能停止による初期治療の遅れ」など。×は「地震前から重篤であった既往症が原因」「症状改善により入退院を繰り返している」「生活が安定して以降の発症」などとあった。

 線引きの難しいケースもあるはずだった。「個別に判断するしかない」との記述も見られた。担当者は「これは正式な基準ではありませんから」と言い、目の前で文書を破り捨てた。

 判定をめぐる不満や、新たな申請が相次ぐことへの恐れが、基準を公にしない背景にあるとみられる。

 小林愛子さんには、後味の悪い後日談がある。陸男さんは関連死と認められたが、生命保険会社は「不慮の事故ではない」として保険金の一部支払いを拒んだ。「納得できず長い間悩んだ」という愛子さんは九六年に提訴。結局、同社は保険金相当分を支払った。

 神戸新聞社の調査では、関連死は九百二十一人に上った。持病を悪化させた人もいれば、まちの復興に奔走して倒れた人もいた。「救えた命もあるはずだった」と上田院長は言う。

 大地が揺れたときから幾日たっても、命は奪われ続けた。

2004/4/28

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