春からネパールへ。大阪芸大を卒業する佐野由美さんの進路を聞き、毎日放送の記者、榛葉健(しば たけし)さん(40)は驚く。
一年間、ボランティアで貧しい子らに美術を教えるという。地震の翌年に三週間、ネパールの孤児院で教えたときと同じ民間団体の派遣。福祉小学校教員というポストが与えられるが、旅費も生活費も自分で負担する。
「美術に携わる者として、自分がやるべきことが何か見つかるはず。ゲストではなく、一緒に過ごし真実をつきとめる」
震災で、当事者として「表現」することの大切さを知った彼女が、異国の貧しい町で、再び当事者になろうとしている。震災を起点にした生き方を、榛葉さんは取材し続けようと思う。関西空港を旅立つ由美さんにビデオカメラを託す。授業や日常生活の様子を撮っておいてほしいと頼む。
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「私は望んで、ここまで来た。私はここで探すものがある」
一九九八年四月、ネパールに着いた日、二十二歳の佐野由美さんは、滞在日記をこう書き出す。
学校は、首都カトマンズに隣接する古都パタンにある。着いて四日後には授業を始める。言葉は「ナマステ」というあいさつ程度しかできない。覚えたての単語をつないで自己紹介し、ネコとネズミを描かせる。
学年ごとに授業内容を考え、ちぎり絵やギフトカード作りをする。児童たちは勉強に熱心だ。 短い滞在では見えなかった、貧しさやカーストによる差別も知る。それでも素直な子どもたちを日に日に好きになる。その「愛」が、ひどい下痢や、はかどらない査証手続きなど、日々の困難に立ち向かう力になる。
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九月、榛葉さんがパタンの学校を取材する。由美さんは流ちょうな言葉で児童と接している。カメラの前では「自然に覚えた」と説明するが、後に荷物の中から、ネパール語を何度も練習したメモ帳が見つかる。
絵も意欲的に描く。市場の女性、職人、路上で暮らす子ども…。スケッチブックを常に持ち歩き、出会った人をモデルにペンを走らせる。
一年の滞在を総括し、九九年二月、カトマンズの有名な画廊で、生涯最後の個展を開く。
先輩の美術家、粟国(あぐに)久直さん(39)に、個展の成功と帰国を告げる手紙を書く。この国の未知の部分を追求したい。世界中の国を自分のアートの舞台にしたい。膨らむ夢を挙げ、誓う。
「どんなことがあっても、自分の思っている生き方を実現させていくつもりです」
2004/10/9