父を、余命三カ月のがんと宣告された女性がいる。でも、心身の衰えた父を直視できず、面会を避けてしまう。
二〇〇二年四月、兵庫県民会館。女性は映画「with… 若き女性美術作家の生涯」を偶然見る。事故死した佐野由美さん=当時(23)=の姿が映ったとき、声が聞こえた気がする。「伝えたいメッセージがある。私はこうやって生きた」
上映後、感想を書く。
「このあとすぐ病院に行こうと思います。一市民にすぎない父ですが、『人は死んでも残せるものがある』と感じたからです。父をしっかりと見送っていきます」
「with…」はこれまで全国百カ所以上で上映されてきた。監督の榛葉健(しば たけし)さん(40)のもとには、たくさんの感想が寄せられる。
榛葉さんは映画の中で由美さんの志をこう表現する。
「彼女は信じていました。一本のペンが、一枚の絵が、一つの言葉が人々の心を動かす可能性のあることを。そして、世界が少しだけ変わるかもしれないことを」
それは榛葉さん自らの志にも重なる。
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阪神・淡路大震災で、由美さんは無力さを感じた後、描くことへの思いを取り戻していく。大阪芸大の恩師、粟国(あぐに)久直さん(39)が振り返る。「彼女は、生きる意味を自らに問いかけることから始めた。ささやかな志を持ち続けようとした」
震災という非日常を乗り越えた後、ネパールでは「現実」という日常に向き合った。差別や貧困が当たり前に存在する不条理。「自分が何者か、何のために、何をすればよいか、彼女はいっそう探し求めた」。粟国さんはそう指摘し、由美さんの歩みを評価する。
「同じように志を持ち、生きる意味を探す若い人たちを勇気づける」
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由美さんの母、京子さんは〇三年末、ネパールを再訪する。「with…」上映で寄せられた募金などで、ラリット福祉小学校が増築された。その完成式典に出席する。
生活の糧を得るために由美さんが始めた切り絵の授業は、今も続いている。子どもたちが由美さんと過ごした五年前の日々を次々に語る。「天国に行っても平安でありますように」。そんな優しい言葉を添えて。
ここで、確かに生きていたのだ。そして、生きている。
胸がいっぱいになり、京子さんは涙する。
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由美さんを知る人は、今も現在進行形で彼女の姿を鮮明に語る。
「死」から目をそらさず、寄り添い、「生」の意味を読み取ろうとする人たちもいる。「佐野さんの咲かせた花は、いつまでも枯れない」。授業で由美さんと出会った高校生が、そんな感想を書いた。そうやって「いのち」が語り継がれる。
生前の由美さんには会ったことがない。取材をするうち、感じる。震災の日、彼女と同じ空の下にいた。彼女に問いかけられる。震災を起点に、あなたはどんな「生」を歩んだのか、と。
(記事・宮沢之祐、写真・山崎 竜)=おわり=
2004/10/16