追悼集ではなく、彼女が発表したかった滞在記を作りたい-。佐野由美さんの死から一年が過ぎた二〇〇〇年夏、鈴田聡さん(42)と世良典子さん(35)は、由美さんの母、京子さんに相談する。
由美さんとは最初の著書「神戸・長田スケッチ-路地裏に綴(つづ)るこえ」を編集して以来の付き合い。二人はネパールに旅立つ由美さんと出版の計画を話し合った。その後、出版社を辞めたが、約束は守りたい。遺作のスケッチブックを借りて構成を考える。
由美さんはボランティアとして悩んでいた。スケッチも日記も、次第に滞りがちになる。何を表現すれば役に立てるか。そう考え続けたのだろうと、鈴田さんは思う。ボランティアって何か、読む人に考えてほしい。
世良さんが知る由美さんは、くよくよし、落ち込むこともある普通の女の子だ。「頑張れば、できる」というメッセージを本を通して伝えたい。
〇一年四月、「ネパール滞在日記-パタンの空より」(シーズ・プランニング発行)が書店に並ぶ。
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〇二年十一月、由美さんの母校の神戸市立西代中学で、兵庫県内の国語の先生が集まる研究大会が開かれた。当時、神戸大付属住吉中の教員だった大橋恵子さん(44)は「パタンの空より」を使って研究授業をする。
由美さんはネパールに着いた日、「私はここで探すものがある」と記した。大橋さんは「この探し物って何だろう」と、生徒たちに問いかける。
本を読んで調べ、一人ずつ発表する。発表に共感してくれる人がいればうれしい。表現することで誰かとつながれる。由美さんの生き方がそうであるように。授業の目標は「表現する喜び」だ。
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藤田美沙さん(17)は中学生のとき、「茶髪、ピアス、いかついまゆ毛」にしていた。飲食店でアルバイトする今、「何がしたかったんやろ」と振り返る。二年前の授業をよく覚えている。
映画「with… 若き女性美術作家の生涯」を見て、由美さんの死に涙をこらえた。「むちゃ頑張ってて、すごい。自分が生きてる分、困った人に何かしたい」とも思う。感想文に「もっともっと、ゆみさんの事をしらべたい」と書く。
その文を大橋さんが教室で褒めた。その途端、藤田さんは「なんで勝手に皆の前で読むん」と叫び、教室を飛び出す。
大橋さんは「自分の気持ちを知ってもらうことは恥ずかしいことじゃない」と語りかける。最後の授業の日、藤田さんは「悪ぶっているのに褒められて恥ずかしかった」と、正直に手紙を書き、大橋さんに謝る。
「由美さんと出会えてよかった」。藤田さんは今もそう語る。
2004/10/15