明るくなって、坂本淳さん(50)は、妻と自宅にほど近い作業所に行ってみた。一階部分は二階に押しつぶされていた。
脳性小児まひで車いす生活の坂本さんは震災の前年、神戸市東灘区深江北町の文化住宅一階を借り、小規模作業所「まつぼっくりの園」を開設した。2DKで家賃は月三万五千円。身体、知的、精神障害者十四人がかばん作りなど縫製作業をしていた。
幸いメンバーはみな無事だった。一日も早い開設を目指し、坂本さんは場所探しに奔走した。交通の便、地域との関係。「もし地震が昼間やったら…」と想像すると、鉄筋で段差がないという条件にもこだわった。
それでなくとも物件は少なかった。限られた選択肢の中から、道路に面した鉄筋八階建ての一階の空き店舗を借りた。
「広くて車いすで動けるし、何かあればすぐ外に飛び出せる」と坂本さん。引き換えに、敷金二百万円と家賃十五万円がのしかかってきた。敷金六割は市から補助されたが、トイレなどの改修や備品の購入も含め、一千万円要した。寄付金やローンでは足りず、実母と妻が三百万円を負担した。
当時の坂本さんの収入は障害者年金だけ。作業所職員としての給料も運営資金に当てていた。もちろん今も補助金だけでは足りず、当時と状況は何ら変わっていない。
現在、兵庫県内の小規模作業所は三百六十六カ所。震災前より二百カ所以上増えた。何らかの障害がある人たちが集まる場所だけに、利便性や最低限の安全は確保しておきたい。だが、それらを求めればその分、家賃の負担は重くなる。
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神戸市長田区西代通の精神障害者小規模通所授産施設「長田むつみ会」(田中雅子施設長)と「ハートワーキングクラブ」(北田美智子施設長)。震災で全焼と全壊し、鉄筋ビルの一階と新築の木造建物で再開した。
家賃は、二十六万円と二十万円。震災前の二倍以上に跳ね上がった。二〇〇三年に法人化したものの運営は赤字だ。
作業量も震災前には戻っていない。
作業を卸してもらっていた地元のケミカルシューズ業者などが被災し、内職も、より安いアジアの国々に取られてしまうようになった。必死の営業で粗品の袋詰めや会報誌などの発送作業、「ハート-」では喫茶業もこなすが、メンバーの工賃は、震災前の日給七百円から二百円に下がったままだ。
「以前なら仕事が定期的にあったけれど、今は突発的なものしかないんです」と二人の施設長。丸一カ月間、パソコンの練習などをして過ごすこともある。
「ここは独居のメンバーが多く、孤独から解放される場所。そして働いていると感じられる場でもあるんですが…」
今なお続く被災の影響。奪われているものは単なる作業だけではない。
2005/1/13