「おおっ、無事や」
神戸市北区の自宅から同市灘区鶴甲にある特別養護老人ホーム「きしろ荘」に駆けつけた折田忠温施設長は、思わず口にした。一九九五年一月十七日、午前九時前のことだ。
同ホームは、六甲ケーブルの駅近くに建つ。すぐ裏には、六甲山の斜面が迫る。「けが人はおれへんか」「職員、何人おるんや」-。玄関に入ると怒鳴り声をあげた。壁や床に亀裂が入り、ライフラインは完全に止まっていた。
幸い、けが人はいなかったが、もともと介護が必要な人ばかり。加えて、水や食事の確保など、次から次へと問題が噴き出した。
衣類の洗濯も急務だった。抵抗力が弱い高齢者の感染を予防するために、清潔な環境を保たねばならない。だが、水は使えず、乾燥機も動かない。そんな状況を救ってくれたのは、以前から個人的に付き合いがあった神戸市北区の施設だった。連日、夜間に職員が洗濯物を車に積んで往復した。
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特別養護老人ホームが被災した場合、同じ機能を持つ施設が支援するのが望ましい、と折田施設長は考える。
「災害時、行政や他施設に適切に連絡するなんて無理。隣組のような発想で、いくつかの施設がチームになってやり取りできればいいのに…。例えば、ここの施設が被災したら、こことあそこが連携して支援するという具合に」
震災の数年前、梅雨時に大雨が降り、同ホームに避難勧告が出されたことがあった。指定の避難場所は近くの小学校。しかし、入所者を車いすで運び、体育館の床に寝かせることが適切だとは思えず、結局、避難しなかった。
「万が一の受け入れ先を事前に決めておけば、入所者を動かすのは可能だが…」と言葉を濁す折田施設長。
だが、現在もそのようなネットワークは構築されていない。
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新たな問題もある。
震災時、同ホームの入所者の平均年齢は八十代前半だった。今は八十代後半。要介護度の平均は4・3で寝たきりの人が増えた。
神戸市内の入所施設でも年々、重度化は進んでいる(表参照)。市介護保険課によると、介護保険制度がスタートした二〇〇〇年四月は、要介護4、5の人は合わせて約44%。その後、市が緊急性の高い高齢者を優先的に入所させる方針を取ったことなどから、この四年間で12ポイント増えた。
もし、もう一度大災害が起これば、入所者の状況から見て、震災時以上の混乱が予想される。食料の備蓄など改善された点もあるが、特別養護老人ホームの防災が飛躍的に進んだとは言い難い。
なぜか。
「結局、もう終わったことだと思っているんですね。二回はないだろうと。私も含めて…」。折田施設長は自戒を込めてそう言った。
2005/1/18