「震災の影響か、二月中の死亡者が七名に及んだ-」
神戸市兵庫区菊水町にある特別養護老人ホーム「海光園ミラホーム」。長田善男施設長(43)がテーブルに広げた資料には、そう記されていた。
施設で暮らす高齢者にどのような影響があったのか。まずは、そこから振り返りたい。
阪神・淡路大震災が起こった一九九五年一月十七日。五十人が暮らしていた同ホームも激震に襲われた。現在、市営筒井住宅(同市中央区)の生活援助員を務める坂本由紀子さん(56)はあの日、同ホームで宿直勤務に就いていた。
静かな夜だった。「いつもなら頻繁に鳴るトイレコールも全くなかったんです。夜間が順調な日は、朝方に入所者が転倒するとか、よく何か起こるんですよ」
「何かあるんちゃうか」。もう一人の宿直者とそう言い合った覚えがある。
激震が襲ったのは、その直後。一階の洗濯室にいた。地鳴りに続いて体が持ち上がるような強い力を感じ、気づくと四つんばいになっていた。そばを洗濯物を入れるワゴンが走り回っていた。
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建物の壁に亀裂が入ったり、スプリンクラーの送水管が破損したりした。幸いにも入所者にけが人はなかったが、水道、ガスが止まり、施設の機能は完全にまひした。
「施設が被災するという想定はなかった。もちろん、備蓄の食糧もありませんでした」。長田施設長は言い切った。
ガスの不通で暖房設備が停止したことも、高齢者の体力を奪う原因になった。二週間後、電気と石油ストーブが数台入ったが、十分な暖をとるには程遠かった。
外気とほぼ同じ気温の室内で過ごす日々。長田施設長は、入所者の眠る布団にそっと手を滑り込ませた。体力がない高齢者は自分の体温で布団を温められない。その冷たさは、今も手が記憶する。「布団が氷だった」
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震災の教訓から、入所施設には数日間の食料が備蓄されるようになった。同ホームも二日分用意している。さらに救援物資にあった電気あんかを買い足し、ほぼ全員分をそろえた。
だが暖房設備は、早期に復旧した電気に変更はされず、ガスのまま。食料ももっと備蓄したいが、収納スペースがない。あらためて「防災」について考えると、不安は尽きない。「でも…」
「改善しないといけない点はあるが、財政的に難しい面も多いんです」
介護保険制度は、国の基準に沿って介護報酬が支払われる。この中から、施設は職員の給与や利用者の介護にかかる費用などを賄う。防災費などは加算されておらず、施設の裁量になる。
「もし、同じような災害が起こったらどうでしょうか」。そう尋ねると、長田施設長は苦笑いを返した。
メモ
海光園ミラホームの1995年当時の状況
1月17日 入所者全員無事。水道、ガスの供給停止
1月18日 電気炊飯器を手配し、給食に対応
1月19日 救援物資到着
1月21日 暖房停止のため、入所者に電気あんか配布
1月31日 電気、石油ストーブ設置
2月13日 水道復旧
2月27日 ガス復旧
3月01日 通常業務に戻る。