フィリピン出身のエヴェリンダ・ガブリエルさん(53)は、阪神・淡路大震災以降、「震災」の言葉に嫌悪感を覚えるようになった。見聞きするたび、どうしようもない悔しさが込み上げてくる。
神戸市内の自宅は無事だったが、ライフラインが途絶え、電話も使えなくなった。母国に住む家族に無事を伝えるため、同郷の仲間五人と、避難所の小学校に電話をかけに出掛けた。
日本語で「自由に使ってください」とあった。順番待ちの列に加わった。突然、日本人男性に「避難所の人でないと使えないんや」と怒鳴られた。仲間全員が学校の外に追いやられ、門が閉ざされた。
避難所以外の人も使えるはず。外国人だから? それまでも、欲しいサイズの下着がもらえないなど不公平さを感じていた。その日から、おにぎり一つでさえ、もらいに行けなくなった。
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震災時、兵庫県内の外国人登録者数は約九万九千九百人(一九九四年末データ)。被害の大きかった神戸市と阪神、淡路地域には約七万七千百人が住んでおり、外国人の死者は約二百人に上った。
被災地の外国人登録者の大半は、長年、日本で暮らす在日韓国朝鮮人と華僑が占める。だが近年は、東南アジアや南米出身者らが増加。日本語が分からない人も多い。
震災後、各自治体は外国語でも広報紙を発行したが、翻訳された言語数は限られ、しかも混乱した生活の中で、すべての外国人には届かなかった。日本人と外国人が入り交じった避難所では、偏見や互いの生活習慣への理解不足から、トラブルも続発した。
各自治体やボランティア団体が設けた外国人のための相談電話は、引っ切りなしに鳴り続けた。「外国人も避難所に行っていいか」「罹災証明書や義援金の意味が分からない」「時差のある母国に夜に電話をかけていて、『うるさい』と切られた」-。震災直後、県国際交流協会が受けた数は六日間で二百三十七件に上った。
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外国人を支援する特定非営利活動法人・たかとりコミュニティセンターの吉富志津代さん(48)は「こうしたトラブルは、災害時だから起こったのではなく、すべて日常に潜んでいた問題。日ごろから外国人が地域社会と交流し、とけ込んでいることが、いかに大切か痛感した」という。
言葉が壁となって、ごみ出しなどの日本の生活ルールが分からない。一度身に付いた母国の生活習慣も、そう簡単には変えられない。小さなトラブルが重なり、その不満が、震災という非日常の中で一気に噴き出した。
ガブリエルさんは今も、地震のニュースが流れるとテレビを消してしまう。「当時のつらい経験がよみがえるから」。一度傷ついた心は、簡単には癒えない。
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兵庫県内の外国人登録者数は震災後、一時減少したものの、九八年にはほぼ震災前の水準にまで回復。二〇〇三年末には十万二千七百人になり、国籍数は百二十八カ国に上る。増え続ける外国人。この十年で、受け入れる日本社会、そして外国人自身は、どう変わったのだろうか。
2005/1/24