阪神・淡路大震災時、被災地で暮らしていた多くの外国人が「情報」から孤立した。テレビは映らず、電話も通じない。惨状を前に、いったい何が起きたのか。どうすればいいのか。ラジオから流れてくる言葉の意味はわからず、身近に頼れる人もいない。不安が募り、混乱に拍車をかけた。
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コミュニティ放送局FMわぃわぃ(神戸市長田区)は一九九六年、その教訓から誕生した。震災二週間後にできたその前身は二言語放送だったが、徐々に言語を増やし、現在、タガログ語やポルトガル語など八言語で、生活情報や音楽を流す。
同局代表の日比野純一さん(42)は、「この十年で災害時の外国人への対応は随分とよくなった」という。「でも、がくぜんとしたことも」
昨年十月の新潟県中越地震。発生直後、日比野さんの仲間が神戸から長岡市に駆けつけた。コミュニティ放送局はあったが、扱っているのは日本語だけだった。
長岡市だけでも外国人登録者数は約二千百人。災害時、ラジオからの外国語の情報は、彼らにとって命綱だ。ところが現地の放送局には、翻訳や外国語でアナウンスができるスタッフがいなかった。結局、FMわぃわぃのメンバーらが力を貸し、放送が始まったのは、一週間後だった。
「災害時は一秒でも早く情報がほしい。体制が整っていればすぐに放送できた。十年もたったのに、神戸からノウハウを伝えに行かなければならないとは…」。日比野さんの言葉に悔しさがにじむ。
外国語放送を始めるにあたって、壁になりがちなのが手法や予算。兵庫県内でもコミュニティ放送局は十局に増えたが、外国語による番組づくりをしているのは、三局にとどまる。
「ニュースだけでなく、音楽や娯楽番組があっていい。読み手になまりがあっていい。とにかく始めることが大切。行政も、災害時は多言語放送を予算化するなどしてほしい」
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時の経過とともに、震災を体験していない人は増える。帰国や移住で入れ替わりが激しい外国人の場合は、特にそうだ。
神戸市は二〇〇三年、外国人の意見を市政に反映させるために、「外国人市民会議」を設置。同年から〇四年にかけて、市内に住む外国人を対象に生活と意識のアンケート調査をした。
その結果、避難場所を知っていたのは約半数。日本で生まれ育った人が多い韓国・朝鮮人は75%、中国人も62%に上ったが、中南米、欧米系は約30%にとどまった。知らない理由として「地域の防災訓練に参加していないから」「避難場所や経路の表示が少ない」などが挙がった。
同会議のメンバーで、日系ブラジル人の松原マリナさん(51)は「もちろん、情報の発信・提供は必要」という。と同時に、「避難所という言葉自体、知らない人もいる。どんなに周りがサポートしても、それを理解し、防災意識を高めていくには、本人の努力も欠かせない」と強調した。
2005/1/25