小学生が、左手の不自由な平山光博(49)を囲んだ。平山は、作業台の上に置いた左の手のひらにパン生地を乗せ、右手であっという間に丸めた。素早さと手の使い方に、子らは目を見張った。
神戸市長田区三番町の障害者共働作業所「くららべーかりー」。代表の石倉泰三(54)らスタッフと知的障害、身体障害のある通所者五人がパンを製造、販売している。
ここで昨年末、地元の長田小学校五年生の六人が、総合学習に取り組んだ。パン作りを見学し、自分たちも挑戦した。初対面の緊張からか、子どもたちの口数は少なかったが、手伝ってもらうと笑顔を返した。
数日後、作業所に礼状が届いた。「パン作りはこつが必要で難しい」「くららの人はうまくてマジックのようだった」とつづられていた。
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重度障害者の長女をもつ石倉は一九九四年春、「障害者の自立を支援したい」と脱サラ。妻悦子(57)と長田区の旧山吉市場にくららを開設した。
その九カ月後の九五年一月十七日、阪神・淡路大震災で施設は半壊する。ぼう然自失の石倉に、当時の通所者で二十歳だった大西幸二が声を掛けた。「パンを焼こう」。いつもの笑顔に励まされた石倉は、市場の人との炊き出しを思い立った。
二月十一日、全半壊した市場の入り口周辺に焼きそばなどの屋台が並び、被災者が列をつくった。通所者らが焼きたてのパンを手に「食べてください」と声を張り上げた。ほおばった女性が「ありがとうね、ありがとうね」と涙をぽろぽろ流した。「障害者が被災者を支援できるんや」。石倉は、作業所は助けられる側との考えを捨てた。これが出発点だった。
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その年の十月、映画「男はつらいよ」のロケが長田であり、くららは地震で被災したパン屋のモデルになった。
寅さんの叔父が営む団子屋。その茶の間には、地域の人たちが出入りし、語り、笑い、時にけんかする。石倉は「くららを寅さん映画の茶の間のようにしたい」と考えている。「障害者と地域の人たちのたまり場にしたい」という。
大震災から十二年。今、多くの人が作業所を訪れる。総合学習の児童、研修の会社員、ボランティア、他の作業所の障害者ら…。出会い、つながりを深めていく。
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震災後、石倉夫妻は地域でバザーなどの活動を継続。深まった絆(きずな)は昨年、特定非営利活動法人(NPO法人)「ネットワークながた」の結成に結実し、障害者と健常者が共に生きる街を目指す。(敬称略)
2007/1/10