重度の心身障害者で電動車いすに乗る山本聖一(28)は、市営住宅のドアの鍵穴に、不自由な手でゆっくりと鍵を差し込んで回した。扉を開けるのは介助者だ。部屋に入った山本は、抱きかかえてもらい、こたつ前の座いすに座った。
山本は、神戸市長田区三番町でパンを製造、販売する障害者共働作業所「くららべーかりー」に通う。営業を担当し、保育所などへ出張販売に行く。トイレ、入浴などに介助が必要だが、同区の市営住宅に一人で暮らす。くららにいる間と通勤以外は、いつも傍らに介助者がいる。
「扉を自分で開けられないのは不便だが、自分のペースで生活ができるのは自由で快適」と山本はいう。休日はボウリングに行ったり、夜更かししてテレビゲームにふけったり。「くらら(代表)の石倉(泰三)さん夫婦、岡山の父、介助者。みんなの助けがあるからやっていける」
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阪神・淡路大震災で神戸市長田区の山本の家は半壊した。翌月、母は体調を崩し入院。父は岡山県に単身赴任中で、垂水養護学校高等部一年生だった山本は、同校に設けられた重度障害者の避難所兼デイケアセンターで生活を始めた。
それまで家族に介助を頼っており、ボランティアと話すことに緊張した。しかし、必要に迫られ、食事やトイレ、入浴の介助方法をボランティアに教えるうちに仲良くなれた。避難所が閉鎖されるまで約百四十日を過ごし、友だちみたいな介助者がたくさんできた。
震災の翌一九九六年、母が他界した。九七年、くららに就職。二〇〇一年、同居していた姉一家からの自立を決意する。
くららや同区の障害者のデイケア施設が、当面の宿泊場所を提供した。石倉や両施設の関係者、小学校の同窓生らが介助者になった。「住所不定」は約九カ月続いたが、市営住宅に当選した。
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昨年秋、さらに一人が山本に続き、自立を果たした。くらら開設当初からの通所者、大西幸二(32)。企業にパートとして就職し、定時制高校を卒業する今春、正式採用の予定だ。
くららでの人との出会いが大西を変えた。口数が増え、自分を表現するようになった。石倉はいう。「つながりをつくることで、障害者は地域で生きていける。一人暮らしや一般企業への就職は、その結果だと思う」(敬称略)
2007/1/11