かつてそこには、人々が集う盛り場があった。三宮・東門の路地を歩くと、空き地や駐車場が唐突に現れる。一九九五年一月十七日の阪神・淡路大震災で倒壊した二階建ての貸店舗や商業ビルの跡地だ。兵庫県内有数の歓楽街にあって、十二年を経てなお傷跡が消えないのはなぜだろう。私たちは、空き地の理由を知りたいと思った。
空き地に、テレビがひとつ。雨にさらされ、ほこりにまみれている。メーンストリートの東門筋から西へ路地を入ると、小さなビルと空き地が交互に並ぶ。面積約八十平方メートルの駐車場には、たばこの吸い殻が散らばっていた。
地権者たちを訪ねてみた。神戸市兵庫区でも西宮市でも、転居したのか、登記上の住所には名前が見あたらなかった。
ようやく駐車場の一角三十平方メートルの地権者に出会えた。小柄で穏やかな八十五歳の女性。神戸市中央区のマンションに独り暮らしをしていた。
震災前の東門の住宅地図を一緒に見た。「昔はいっぱい店が並んでたねぇ」。女性は地図を指でたどり、ビルのオーナーや商店主の名前を挙げ、懐かしんだ。
木造二階建ての貸店舗は激震で全壊した。女性は、東門筋にもう一棟、ビルを持っており、そちらは無事だった。「その家賃収入だけで十分」。是が非でも再建するという気配はなかった。「周りが建てたら、自分もと思うけど」。笑って、そう付け加えた。
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今ある駐車場には震災前、短冊状の三つの敷地に二階建ての貸店舗がそれぞれ建っていた。両端を女性が個人と会社名義で、真ん中を神戸市灘区内の男性(83)が持っていた。
九六年、男性は土地を売却した。再建には法律上、接する道の中央から壁面まで二メートルのスペースを確保する必要がある。「もともと狭いのに、建物をさらに小さくしなければならなかったから」。男性は見切りをつけた理由をそう説明する。
購入したのは、両側の土地を持つ女性。「まとめておけば便利」と買ったが、駐車場のまま昨年、二男(62)に譲った。
再建予定を二男に尋ねると、逆に問い返された。「東門は今も不況。何のビルを建てたらいいと思う?」。答えに窮すると、淡々と一言。「当分は駐車場のままにしておきますよ」
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ネオンがともる夜になると、空き地はいっそう物寂しい。東門筋の東側にも空き地が点在する。
面積約六十平方メートルの空き地の地権者は、七十八歳の女性。大きな一戸建て住宅に住んでおり、東門界隈(かいわい)にビル三棟を持っているという。
震災直後は、すぐ借り手が見つかった。四棟目を建てるため更地を九七年に購入。設計や見積もりも済ませた。
しかし、“震災特需”は長く続かず、三棟のテナントも埋まらなくなった。「採算が合わない」と、着工を中止。空き地のまま十年が過ぎた。
「東門がシャッター通りになってしまわないか」。そう心配しつつも、女性は「もう新しいビルを経営する元気はない」と漏らす。空き地のまま子どもに残す、という。(田中陽一、直江純、太中麻美、土井秀人)
2007/1/14