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現在の国史跡広渡廃寺跡歴史公園。手前に見えるのは往時の姿を再現した模型=小野市広渡町  
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現在の国史跡広渡廃寺跡歴史公園。手前に見えるのは往時の姿を再現した模型=小野市広渡町  
発掘から推定した「広渡寺」の想像図
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発掘から推定した「広渡寺」の想像図

 兵庫県小野市広渡町にある大規模な仏教寺院の遺跡をご存じだろうか。奈良-平安時代にあった古代寺院の遺跡「広渡廃寺(こうどはいじ)跡」だ。金堂や講堂などの遺構が確認でき、現在は国史跡に指定されている。7世紀後半に創建され、薬師寺(奈良県)と似た構造を持つ寺だったが、何らかの理由で平安時代末期に衰亡し、うち捨てられた。一体、なぜ。調査すると、当時の豪族や住民たちの動向が浮かんできた。(杉山雅崇)

 本格的な発掘が行われたのは、1970年代のこと。伝承から、周辺に寺の遺構があることは知られていたが、発掘で規模の大きい寺院があったことが初めて明らかになった。

 発掘では、金堂前に東西両塔を置く「薬師寺式伽藍(がらん)」の配置であることが分かった。また、平安時代以降に手が加えられた形跡がなかったことから、同時期に廃寺になったことも判明した。

 80年には国史跡に指定。その後、「国史跡広渡廃寺跡歴史公園」として基壇(きだん)や資料館などが整備され、現在に至っている。

 広大な公園に立ち、疑問が湧いた。奥山寺(加西市)や朝光寺(加東市)など他の古刹(こさつ)と違い、なぜこの寺院は「廃寺」となってしまったのだろう。

 小野市立好古館(西本町)の石野茂三館長(70)は、小野にいた有力者の衰亡を指摘する。寺の建立と維持には、莫大な金が必要だ。奈良時代に勢力のあった氏族が、時を経るにつれて衰退。平安時代には寺社の維持ができなくなったという。「豪族の弱体化に伴い、その土地の寺が衰退する現象は全国にみられます」と解説する。

 発掘後に編さんされた「播磨広渡寺廃寺跡発掘調査報告」では、かつて近くを流れていた、現在の東条川の影響を指摘している。

 報告によると、広渡廃寺が位置していた場所は古代、「起勢(こせ)」と呼ばれていた。だが、度重なる川の氾濫により、起勢が分断・衰退し、住民の多くが移住。寺の存続を担う集落がなくなったことが、寺の衰亡につながったという。

 現在、広渡廃寺跡公園には、復元された基壇のほか、精巧につくられた模型も展示されている。千年近く前に姿を消した寺と、周囲の人びとに思いをはせながら、遺跡を見つめた。

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