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全国の参拝者たちの思いが詰まった落書きが残る衝立=小野市浄谷町(許可を得て撮影しています)
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全国の参拝者たちの思いが詰まった落書きが残る衝立=小野市浄谷町(許可を得て撮影しています)
「只一人」と記された落書き=小野市浄谷町(許可を得て撮影しています)
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「只一人」と記された落書き=小野市浄谷町(許可を得て撮影しています)
衝立が置かれている国宝の浄土堂=小野市浄谷町(許可を得て撮影しています)
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衝立が置かれている国宝の浄土堂=小野市浄谷町(許可を得て撮影しています)

 兵庫県小野市浄谷町の国宝浄土寺。国宝に指定されている阿弥陀三尊立像の脇に、二つの衝立(ついたて)が置かれている。衝立の一面に文字らしきものが墨で書かれているが、これは昔の遍路たちが残した参拝記念の落書きだという。1506(永正3)年から1615(慶長20)年まで、109年間にわたって記された記録からは、全国から尊崇を集めていた浄土寺の姿が見えてくる。(杉山雅崇)

 浄土寺の塔頭(たっちゅう)「歓喜院」の鑑光顕(かがみこうけん)副住職によると、衝立の元になった木材は、浄土堂の格子窓に付けられていた木戸だったという。

 木戸は近年の改修工事で、格子窓にアクリル板を付けた際に取り外された。落書きが多数残されていたことから、衝立に加工し、堂内に保存している。

 衝立には、隙間もないほどにびっしりと墨書がしたためられている。県内の歴史的建造物の研究、保存活動で知られる故野地脩左(のじしゅうさ)・神戸大名誉教授は1957~59年ごろ、落書きの内容を分析。遍路たちの足跡が詳細に判明した。

 巡礼者たちの出身地は日本全国に及ぶ。落書きの内容から、武蔵(東京都、埼玉県、神奈川県の一部)、駿河(静岡県)、出羽(山形県、秋田県)などが確認でき、数百キロ離れた土地から多くの人々が浄土寺に訪れていた。

 日付は室町時代がほとんどを占める。武蔵国太田から数人の遍路が訪れた1534(天文3)年は、織田信長が生まれた年。ある遍路が訪れた1615(慶長20)年には、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣があった。

 また年月は不明だが、越前(福井県)からたどり着いた「松崎刑部」なる人物は、人数を「只(ただ)一人」と記しており、道中の苦労や孤独感がしのばれる。

 鑑副住職は「満足な交通網もなく、戦があちこちで起こっていた時代に参拝するには、並々ならぬ覚悟が必要だったはず」とし、「『自分や縁者を極楽浄土へ』との強い思いが伝わる」と話している。

     ◇     ◇

衝立に記された参拝者の落書き(一部)

1506(永正3)年播磨国(現兵庫県)稲美郡神吉

1534(天文3)年武蔵国(現東京都など)太田

1556(弘治2)年下総国(現千葉県など)香取

1603(慶長8)年常陸国(現茨城県)

1615(慶長20)年不明

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