■マラソン総走行距離は地球1周以上
兵庫県三田市三田町の永田光司さん(100)は定年を迎えた60歳からマラソンを始めた。
戦時中、歩兵として中国大陸を歩いた脚は丈夫で、会社員時代も山登りを趣味にしていた。最初のマラソン大会は5キロのコースでへとへとになったが、後ろにいる自分より若い世代を見て思った。「この脚、まだまだいける」
練習も含めて総走行距離は約4万7千キロ。地球1周以上に相当する。これまで11カ国のフルマラソンに出場してきた。
1991年、70歳で中国河北省保定を走った。士官養成学校があり、幹部候補生だった20代、訓練に明け暮れた街だ。この時、学校の卒業生を招いた友好行事が催され、日本人の団長として参加した。
「歓迎 日中友好」と書かれた横断幕の前。現地の人と向かい合い、手をたたく。机を囲んで食事をする。「中国人の民家では、日本兵の侵入対策として、たんすの引き出しに爆弾を仕掛けていましたね」と懐かしいことのように話す。間違ったこともあったな、と声を掛け、手を握り合った。
互いの腹の内は分からない。戦争を知る仲間の中には「また中国に行くのか」と眉をひそめる人もいる。それでも個人として接した中国人はみな、感じが良かった。約10年後、北京のマラソン大会に出場した際には、交流行事で現地を案内してくれた中国人女性が会いに来てくれた。日本の化粧品を手土産に渡すと、とても喜ばれた。帰国してラジオで中国語を勉強した。現地で知り合った人に中国語で手紙を送った。
80代の頃、高齢のランナーとしてテレビ番組で紹介されると、滋賀に住む歩兵時代の部下から連絡があった。軍人仲間と再会するたび、若い時間を取り戻せた。
現在も60歳以上のランナーでつくるマラソン同好会に所属し、メンバーと汗を流す。健康の秘訣はランニングと毎日の晩酌。朝はなじみの喫茶店でモーニング。茶飲み友達との交流に昔の肩書きなんて関係ない。
「僕にとっては今が青春」
今年2月、100歳の誕生日を迎えた。今でも仕事への熱意を振り返る時、足腰の強さを語る時、一緒に兵隊の記憶がよみがえる。「くだらん戦争してた。『今さら引き返せない』。その一言にみんなが翻弄(ほんろう)された」。若い時にもっと勉強したかった。
自分には100年の歴史がある。これまでのことは教えられる。「この先100年がどうなっているか、夢でもええから見たいよな」
子どもは2人、孫も2人。12月にはひ孫も生まれる予定だ。未来を生きる子どもたちを守ってもらわないといけない。話し合いで仲良くできれば、それがいい。でも、そうはいかない。抑止力を備えず、じっとしているのが平和じゃないと思う。
「おかしなことを言ってると思うかもしれんけど、そんなおかしなことがあったんやから」。困ったように笑いながら言葉を繰り返す。首をかしげる。額に刻まれたしわが深くなった。
どれも全部、永田さんの本音だ。(喜田美咲)
■戦後76年 100歳ランナーの軌跡(中)
■戦後76年 100歳ランナーの軌跡(上)

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