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原爆供養塔を訪れた近藤紘子さん=6日午前、広島市の平和記念公園
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原爆供養塔を訪れた近藤紘子さん=6日午前、広島市の平和記念公園

 「戦争は誰もが傷つく。どんなことがあってもしてはだめ」。生後8カ月で被爆し、国内外で平和の尊さを伝えてきた近藤紘子さん(76)=兵庫県三木市=は6日、広島市の平和記念公園にある原爆供養塔でそんな思いを胸に祈りをささげた。

 近藤さんは、爆心地から東に1・1キロ離れた牧師館で母親と共に被爆した。幼かったため、あの日の記憶はない。でも、10歳のときの体験は忘れられない。

 近藤さんは1955年5月、被爆者救済に奔走し、米国で講演した牧師の父、故谷本清さんと現地のテレビ番組に出演。その際、原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の副操縦士ロバート・ルイス氏に会った。

 ルイス氏は、消えた広島の街を見て「神様、私たちは何ということをしたのか」と飛行日誌に書いたことを明かした。近藤さんがにらみつけていたルイス氏の目から静かに涙が伝った。

 「ショックだった。多くの人を殺した鬼だと思っていたのに。自分と同じ人間だった」。近藤さんは「憎むべきは原爆を落とした人間ではなく、戦争。彼に出会わなければ、こうしておばあちゃんになっても気付かなかったかもしれない」と振り返った。

 そうした思いを国内外で言葉にしてきた。戦争の一番の犠牲者は子どもだという気持ちが強く、学校でも数え切れないほど語った。

 あれから76回目の夏を迎えた広島。この日朝、近藤さんは新型コロナウイルスの影響で式典には参列できず、会場の外で見守った。

 公園内にある身元不明の遺骨約7万柱が眠る原爆供養塔へも足を運び、慰霊碑に刻まれた文字と同じ言葉をかけた。「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから」

 「76年間、被爆者が言い続けてきたのに、まだ世界には核兵器がある」と近藤さん。「次の世代のために声を上げなきゃいけない」と決意を込めた。(名倉あかり)

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