〈若葉の季節になると、あの日のことが思い出されるのです〉。神戸市長田区の池島佳子(よしこ)さん(80)から届いた手記に、印象的な一文がありました。信じたくない知らせが届いたのは、終戦の年の初夏でした。(斎藤 誉)
佳子さんは1941年、3人きょうだいの真ん中として生まれた。太平洋戦争の激化に伴い、2歳の時に祖父母の住む兵庫県上郡町に疎開した。
まだ幼かった佳子さんが鮮明に覚えている光景がある。45年の初夏だった。
〈雨上がりの柿の若葉に日の光が当たり、キラキラ光っていた。きれいやなーと見ていると祖母に名前を呼ばれた。家に入ると母が泣いていた〉
祖父母の隣家の庭に柿の木があり、塀越しに見ていると、ぬれた葉に光が反射していた。祖母に呼ばれて部屋に戻ると、祖母も泣いていた。
「おりょうやん(近所の友だち)とこへ行って、線香とろうそく借りておいで」と祖母は頼んだ。
この日、父、西川武雄さんの戦死を伝える死亡告知書(戦死公報)が届いていた。
◆
父、武雄さんは戦前、川崎重工で船の配線の仕事をする技術者だった。42年に「赤紙」一枚で陸軍に召集され、仕事の経歴から軍でも電気設備関連の仕事をしていたようだ。
戦死したのは、東南アジアの島、ボルネオ島。「お父さんは本当に死んでしまった」と佳子さんが認識したのは戦死公報の少し後、役場から縦40センチ、横25センチほどの木の箱が届いたときだった。
箱は白い布で包まれ、持ってきた役人の腕のなかでコロコロと音がした。
祖母が箱を開けた。のぞくと直径3センチほどの白い石が3個、無造作に転がっていた。
祖母と母が泣くのを見て、佳子さんも泣いた。
父の死が悲しいというよりも、周りの大人が泣いているのが悲しかった。
◆
終戦から3年がたったころ、母が病に伏した。栄養失調から体調を崩したが、貧しくて病院に行けなかった。「子ども3人を食べさせるために、自分の食料を分け与えていたのかもしれません」と佳子さん。
母の顔の記憶はおぼろげだが、母の味は覚えている。疎開先の人たちが「小(こ)ガス」と呼んでいた料理だ。
家畜に与える小麦の皮をフライパンで熱しただけ。「小麦のカス」からそう呼んでいたらしい。
「味付けはなく、おいしいものではなかったと思いますよ」。ただ、空腹を満たしてくれた。
◆
母は亡くなり、きょうだい3人は祖父母に育てられた。
貧しい生活は続いた。当時遊んでいたおじゃみ(お手玉)には普通小豆を入れるが、代わりに小石と大麦を詰めた。白米はお正月にしか食べられなかった。
読書が好きだったが、少女雑誌が読みたくても買えず、寂しい思いをした。
◆
戦後も中学まで上郡町で過ごし、卒業後、神戸の靴工場に就職した。結婚し、娘一人を育てた。今は子どもの頃、あまりできなかった読書を楽しんでいる。
戦後、「弱い人間が犠牲になるから戦争はいかん」と思い続けてきた佳子さん。その脳裏に76年間、ずっと焼き付いていた柿の若葉のシーン。
「やっと活字にすることができました。なにか、区切りがついたような気がします」と話した。
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