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機銃掃射を目の当たりにした経験を語る赤松彰子さん=三木市内
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機銃掃射を目の当たりにした経験を語る赤松彰子さん=三木市内

 太平洋戦争で日本が負けてから10年がたっていました。兵庫県三木市内の高校に通っていた赤松彰子(あきこ)さん(82)=三木市=が、第2次世界大戦を題材にした映画「禁じられた遊び」を授業で見ていたときです。あるシーンで「ギャアッ」と声を上げて泣きだし、周囲を驚かせました。1944年夏の記憶が突然、よみがえったのです。(丸山桃奈)

 赤松さんが生まれたのは、当時「軍都」と呼ばれた広島県呉市。

 父は、海軍航空隊の整備兵だった。軍服をまとう姿が誇らしかった。

 トラウマ(心的外傷)を植え付けられたのは、鹿児島県指宿市にあった海軍航空隊の官舎に住んでいた44年夏のことだった。

 官舎の縁側で、ままごとをしていると、遠くで飛行機が飛ぶ「パタパタ」という音が聞こえた。いつも空から聞こえる音だ、と特に気にも留めなかった。

 だが、近くにいた赤松さんの母は違った。「あれは日本の飛行機ではない」。機銃掃射が始まると察知した。

 官舎が狙われる-。母は、手が抜けるほどの力で赤松さんを荷物の背後に引っ張り込んだ。その直後、天井を「バリバリ」とものすごいエンジン音が通り過ぎた。一瞬の出来事だった。

 母に手を引かれる直前、庭木の間から見えたのは、今でも頭から離れない「嫌なもの」。操縦士の、ニタッと笑う顔だった。

     ◆

 幼い頃の記憶は次第に薄れたが、高校生のときによみがえった。

 授業中に鑑賞した「禁じられた遊び」で描写されていたのは、迫り来るナチス・ドイツの戦闘機。逃げ惑う住民たちに、低空飛行で容赦なく銃弾を浴びせていた。

 「バリバリバリ」。かつての自分の経験が、エンジン音と共によみがえった。

 あまりの恐怖に、その場で泣き叫んだ。以来、ヘリコプターの音が怖い。上空を通過するたび、自宅に駆け込んだ。

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 戦争への嫌悪感は、60年の安保闘争をきっかけに鮮明になっていく。

 赤松さんが、日本赤十字社が運営する看護大学の学生だったとき。戦時中、病院船に一緒に乗っていた同僚を失ったという看護師と出会った。

 「生き残ったことは、喜びよりも苦しみの方が大きい」と聞かされ、戦後も続く苦悩の重さを知った。

 戦争に反対する意志がはっきりと芽生えた。友人に誘われ、学生運動に身を投じた。

 社会人になってからも、平和を訴える運動に参加し続けた。「軍事力ではなく、外交の力で国家間の問題を解決できる社会になってほしい」と願う。

 戦後76年。「低空で飛ぶヘリコプターの音は今も怖い」と赤松さんは言う。

三木戦後76年
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