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戦中の暮らしを振り返る松本由子さん=朝来市
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戦中の暮らしを振り返る松本由子さん=朝来市

 空襲の標的にされることが少なかった山間部での暮らしにも、戦争は暗い影を落としました。今も兵庫県朝来市で暮らす松本由子(よしこ)さん(86)は原稿用紙7枚に丁寧な字でつらい体験を記してくれました。(谷口夏乃)

 1935年生まれの松本さんには、兄が2人、妹が1人いた。早くに両親が離婚し、父一人で子ども4人を育てた。

 そんな家庭にも容赦なく、召集令状は届いた。

 42年7月、父が出征し、きょうだいはばらばらになる。兄2人と松本さんは朝来の伯父に、妹は別の親戚に引き取られた。

 身を寄せた伯父の家は、7人の子どもに、両親、祖父母の11人家族。そこに松本さんらが加わり、14人の大所帯になった。

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 伯父の家は農家だったが、国がすべてを管理する統制経済のため大半が供出され、実った作物が自分たちの手元に残るのはほんの少し。わずかなお米をおかゆにし、ジャガイモ、カボチャ、大根、菜っ葉などあらゆるものでかさ増しした。

 それでも14人で分け合うと、あっという間になくなる。空腹に耐えられず、よその畑のエンドウをこっそり採ったこともある。

 伯母は松本さんら3人にとても厳しかった。着る物もほとんどない貧しさだった。

 消しゴムさえ買えず、木灰の上に火箸で字を書いて練習した。

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 戦後、父は戻ったが、間もなく病死してしまう。

 伯父の家では“よその子”だから、ねだることもできなかった。「とにかく肩身が狭かった」と振り返る。

 遊びたい気持ちを我慢し、近所の手伝いをしてお小遣いを稼いだ。親も家もないことでいじめられたこともある。「だけど、出て行くところも、頼るところもないから、耐えるしかなかった」。思い出しながら話す松本さんの目に、うっすらと涙が浮かんだ。

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 努力を重ねて高校を卒業し、集団就職で大阪の会社に勤めた。

 給料のすべてを裁縫学校と料理学校につぎこみ、資格を取得。独立して尼崎で編み物教室を開き、結婚後は農協の生活指導員として全国を回った。忙しい日々だった。

 松本さんは、2人の子どもに当時の話をよくするというが、「『その米粒が食べられなくてつらかったんだよ』と話してみても、想像できないみたい」と寂しげに話す。

 過酷な記憶のなかには、その後の松本さんを支えた体験もあった。

 貧しいときに優しく声をかけ、助けてくれた人がいた。だからこそ、「誰かが喜んでくれることをしたい」と願って生きてきた。

 戦中戦後の恩を返すように、今は10年前に自身で起こしたデイサービスの運営に奮闘する。

 「戦争は二度とあってはならないけれど、あの時代を生きたから、人の親切や物のありがたさを強く感じられる。私は幸せ」と目を細めた。

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