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神戸-ボンベイ航路の日本人乗組員たち。日本郵船は航路開設から3年後、初めて日本人を船長として採用し、日本が遠洋航路に進出する時代が始まった(日本郵船歴史博物館提供)
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神戸-ボンベイ航路の日本人乗組員たち。日本郵船は航路開設から3年後、初めて日本人を船長として採用し、日本が遠洋航路に進出する時代が始まった(日本郵船歴史博物館提供)
綿花の輸送について取り決めた「棉花積取契約書」(日本郵船歴史博物館提供)
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綿花の輸送について取り決めた「棉花積取契約書」(日本郵船歴史博物館提供)
日本郵船歴史博物館=横浜市
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日本郵船歴史博物館=横浜市
渋沢栄一
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渋沢栄一
神戸新聞NEXT
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 世界有数の貿易港として栄えた神戸港発展の立役者は、NHK大河ドラマの主人公で日本近代化の父、渋沢栄一だった-。明治中期、輸出産業の花形だった紡績産業は関西に集積し、日本は安く高品質な綿花を求め、遠洋定期航路「神戸-ボンベイ(現ムンバイ)航路」の開設にこぎ着ける。世界の海を欧米列強が牛耳っていた時代。開国したばかりの極東の小国が国際航路を持つ奇跡を成し遂げた背景に渋沢の尽力があった。(西井由比子)

 「海運、航路というのは今も昔も運賃競争の歴史ですが、世界の列強と闘うなんてことを明治半ばにやってのけた。大変な偉業だった」。日本郵船歴史博物館(横浜市)の佐藤芳文館長代理(67)はこう語る。

 ボンベイ航路は、日清戦争前の1893(明治26)年、日本郵船がインドの綿花商「タタ商会」と共同で開設した。当時、インドの綿花を輸送する航路は、英国、オーストリア、イタリア3国の海運同盟に独占されていたが、日印双方が有利な貿易関係を築くためタタ氏が来日。日本経済界の重鎮だった渋沢に打診した。渋沢は郵船や紡績業界、政府と協議し、運賃補助と紡績業界の積み荷契約を取り付け、郵船とタタによる配船を実現させた。

 3国の海運同盟は、1トン当たり17ルピーとしていた綿花の輸送賃を1・5ルピーに値下げして対抗。渋沢に対し「運賃競争に日本が勝てるはずがない」と脅したが、それをはねのけ、紡績業界も郵船・タタとしか取引しなかったという。郵船・タタの運賃は12ルピーだった。

 渋沢の口述による「青淵(せいえん)回顧録」にはこう記されている。〈当時この競争はターター(タタ)問題としてすこぶる世間に喧(やかま)しく論ぜられたものであったが(中略)圧迫に恐れて新航路を差し控えるとか、もしくは激烈な競争に敗れてインド航路を廃止したならば、恐らくや我(わ)が海運業の発達はもっともっと遅れていたろうと思う〉

 神戸港の周辺ではその後、紡績会社のほか、繊維商社や海運会社が次々に誕生。世界有数の貿易港へと発展していく。

 日本郵船は、神戸-ボンベイ航路開設からわずか3年後の96(明治29)年、政府の命を受けて欧州、米国、豪州に航路を開設した。「ボンベイ航路は日本の海運業界発展の緒としても大きな意味を持つ」と佐藤館長代理。「列強の海運同盟に勝ったのは、自信につながったはず」と話す。

 ボンベイ航路で共闘したタタ商会は、鉄鋼や自動車、ITなど幅広い事業を手掛けるタタ財閥へと飛躍。第1次世界大戦中の1918(大正7)年、神戸発祥の商社鈴木商店が神戸製鋼所と川崎造船所向けにタタと銑鉄の取引契約を結ぶなど、神戸との縁も続いた。

     ◇     ◇

■ライバル岩崎弥太郎と協業

 神戸-ボンベイ航路は、犬猿の仲だった渋沢栄一と三菱財閥の創始者岩崎弥太郎との協業が実現した舞台だった。

 渋沢の自伝などによると、同時期に農村に生まれ、才覚を頼りにのし上がった2人は、明治の日本を代表する実業家でありながら、経営をめぐる考え方で対立。「公益重視」の渋沢に対し、岩崎は「独裁主義」とされた。大激論の末に決別し、日本の海運業界の覇権をかけて競った。

 岩崎率いる郵便汽船三菱会社と渋沢らの共同運輸会社は、運賃値下げで消耗戦にもつれ込み、速力を競い合って衝突事故を起こした。共倒れの危機を見かねた政府が両社に協議を提案。交渉のさなかに岩崎が病死し、両社は合併した。1885(明治18)年、日本郵船の誕生だった。

 秘話がある。歴史的合併を経た郵船は後に三菱色を強めるが、第4代社長の伊東米治郎は渋沢の功績をたたえる冊子を作り、社内に配布したという。

 日本郵船歴史博物館の佐藤館長代理は「私見」と断りつつ「そんな冊子をわざわざ作ったということは、社内は岩崎びいきで、渋沢に対する反感が結構あり、それを憂えたんでしょうね。歴史的タッグの内情がうかがえるよう」と話す。(西井由比子)

     ◇     ◇

【日本郵船】三菱グループの源流企業。1885(明治18)年9月、郵便汽船三菱会社と共同運輸会社との合併で「日本郵船会社」として誕生した。93(同26)年、現社名になった。日本初の株式会社だったとされる。渋沢が定款の監修に携わり、取締役として経営に参画。初代社長の森岡昌純は第8代兵庫県令(県知事)を務めた。

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