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阪神・淡路大震災を乗り越え、創業106年となる「島平酒店」の看板を守り続ける阪上秀夫さん=宝塚市山本東2(撮影・斎藤雅志)
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阪神・淡路大震災を乗り越え、創業106年となる「島平酒店」の看板を守り続ける阪上秀夫さん=宝塚市山本東2(撮影・斎藤雅志)
阪上島平さん
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阪上島平さん

 阪神・淡路大震災の関連死で父を亡くした男性とその息子が遺志を継ぎ、老舗酒店の看板を守り続けている。兵庫県宝塚市にある創業106年の「島平(しまへい)酒店」。4度戦地に赴き、シベリア抑留でも生き残った父の名前を店名に入れ、常連客とは今も思い出話に花が咲く。間もなく震災から27年。「温厚で優しい人やった」。親子は感謝を胸に、店を切り盛りする。(西尾和高)

 1995年1月の震災で店舗兼住宅は全壊し、2階で母と寝ていた父の阪上島平(しまへい)さん=当時(87)=はがれきに埋もれた。

 長男の秀夫さん(84)が近所の住民と掘り起こして両親を救助した。しかし、島平さんに顔の筋肉がひきつる症状が出始める。「家や店がつぶれ、精神的に大きなダメージを受けていた」。1カ月後に脳梗塞で倒れ、その年の5月に亡くなり、関連死に認定された。

 酒店は1916(大正5)年に秀夫さんの祖父が創業し、2代目に父の島平さんが就いた。ただ、満州事変、日中戦争に徴兵され、結婚して秀夫さんが生まれると太平洋戦争で朝鮮半島や満州に赴き、終戦後は旧ソ連軍にシベリアで抑留された。その間は母の初江さんが店を支えた。秀夫さんは小学生時代、がりがりにやせ細った父が復員してきたのを覚えている。

 終戦から17年後の62年、秀夫さんが工場勤めをやめて3代目に。名前のなかった店を「島平酒店」にすると、父が喜んでくれた。一緒に酒やしょうゆの瓶、米をバイクで配達し、営業にも力を入れると、得意先が千軒を超えるまでに成長した。

 そこに、震災-。「父が亡くなっても、悲しむより、家と店を再建させなければならないという思いでいっぱいだった」と秀夫さんは振り返る。

 常連客から励まされ、翌日から「配達をお願いしたい」との注文が来た。3日後には敷地内に仮設事務所を設けて再開し、翌年には店舗兼住宅を再建した。

 震災から2年後の97年、秀夫さんが還暦を迎えると、数年前から手伝い始めた息子の浩之さん(53)が本格的に仕事をするようになった。

 震災で、得意先も多くが被災して転居していった。ここ十数年は市内で大型酒店の出店も相次ぎ、日々の売り上げは震災前に到底及ばない。そこに、コロナ禍が追い打ちをかける。

 震災直後は悼む余裕もなかった父を、1月17日が近づくと思い出す。シベリアから帰還後はよくキャンプをして飯ごう炊さんを楽しんだ。西宮球場で阪急ブレーブスの試合をよく観戦しに行った。何より、一緒によく働いた。

 「あの頃と変わらず、根気よく営業に励むだけ。これからも得意先を大切にし、店の看板を守り抜く」

 ゆずり葉緑地(宝塚市小林)の碑には父の名が刻まれている。母の初江さんは2005年に87歳で亡くなり、天国で楽しんでいると思う。今年も17日には、手を合わせに行くつもりだ。

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