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子どもたちと「慰霊と復興のモニュメント」にある地下の「瞑想空間」を訪れ、銘板に手をあわす吉田綾香さん(中央)=17日午前5時38分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・秋山亮太)
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子どもたちと「慰霊と復興のモニュメント」にある地下の「瞑想空間」を訪れ、銘板に手をあわす吉田綾香さん(中央)=17日午前5時38分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・秋山亮太)
子どもたちと「慰霊と復興のモニュメント」にある地下の「瞑想空間」を訪れ、銘板に手をあわす吉田綾香さん(中央)=17日午前5時38分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・秋山亮太)
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子どもたちと「慰霊と復興のモニュメント」にある地下の「瞑想空間」を訪れ、銘板に手をあわす吉田綾香さん(中央)=17日午前5時38分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・秋山亮太)

 6434人が亡くなり、3人が行方不明になった阪神・淡路大震災から、17日で27年となった。午前5時46分。神戸・三宮の公園「東遊園地」の静寂に、発生時刻を知らせる時報が響いた。暗闇の中、灯籠の明かりでかたどられた「忘」の文字。忘れない、忘れたくない、忘れられない、忘れたい…。遺族や被災者、関係する人の数だけ思いがある。各地で営まれた追悼行事で参加者は、亡くなった人の面影を追い、命の尊さをかみしめながら、それぞれの思いを伝えた。

■父吉田勝俊さんと母純さん=いずれも当時(36)=を亡くした吉田綾香さん(39)=神戸市北区(神戸市中央区の東遊園地で)

 震災前日、東灘区の自宅に、姉妹でせがんで買ってもらった2段ベッドが届いた。「組み立ては明日でええやん」と言ったお父さんに、「今日から寝たいねん」と無理を言ったね。あれから27年。2人が亡くなった年齢を超したくらいから、わが子の成長を見られない悲しさや無念さが、より分かるようになったよ。私も2人の子どもたちも元気。だから大丈夫だよ。

■祖母かねさん=当時(85)=を亡くした川崎雅久さん(58)=西宮市平松町(西宮震災記念碑公園で)

 小さいとき、おばあちゃんはよく犬の散歩に連れて行ってくれたね。僕が犬好きなのはその影響かな。あの日、1階が押しつぶされたアパートの前で、僕は「おばあちゃん」と呼ぶことしかできなかった。医者が「安らかな表情。苦しまなかったはず」と言っていたのが唯一の救いだよ。父さんも逝き、今は母さんと2人。介護は大変だけど、生きてくれてるだけでありがたい。命の大切さ、おばあちゃんに教わったよ。

■妻君子さん=当時(34)=と長女麻衣子ちゃん=同(2)=を亡くした百々(どど)孝治さん(66)=芦屋市(東遊園地で)

 自宅で川の字で寝てたんです。天井と土壁が落ちてきて気を失った。救助されて目を覚まし、2人も無事と思いましたが、母親に「腹をくくれ」と言われて。新しい家族の次男龍輝(13)と毎年、ここに足を運びます。この日、この瞬間は2人を語れるんですね。銘板に「元気にやっているよ」と報告しました。龍輝も「会いたかったなぁ」と思ってくれている。生きている限り、会いに来るから。

■娘婿の松下章さん=当時(22)=と孫の良太ちゃん=同(2)、健太ちゃん=同(11カ月)=を亡くした伝法クニ子さん(75)=淡路市小倉(淡路市の北淡震災記念公園で)

 あの日、就寝中にドーンと音が鳴り、そこから記憶がない。意識が戻ると、入院していました。何度も思い出すのは、震災2日前の祭りで、ウルトラマンのおもちゃをねだった良太の姿。買ってやらなかったことをずっと後悔しています。3人と同世代の人を見ると、ふと悲しさが込み上げる。いつまでたっても悲しみは消えません。

■震災が起きた1995年の5月に神戸市で生まれた小山直洋(なおひろ)さん(26)=神戸市兵庫区(東遊園地で)

 九州大への進学で神戸を離れると、毎年1月になっても阪神・淡路の話題が出ず、温度差に驚きました。当時北区に住んでいた両親とは震災の話をしますが、「僕の世代が伝えないと」との思いが強くなりました。神戸の企業に就職し、今回初めて、この東遊園地で発生時刻に手を合わせました。新聞などで震災のことを学んでいます。将来、子どもができたら伝えられるように。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

震災27年神戸阪神淡路
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