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焼け跡のがれきの中から見つけ出された金型。一部は再び神戸市長田区の工場に預け鼻緒を作ってもらっている=兵庫県稲美町六分一
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焼け跡のがれきの中から見つけ出された金型。一部は再び神戸市長田区の工場に預け鼻緒を作ってもらっている=兵庫県稲美町六分一
神戸市長田区の中学生がデザインを考えたビーサン。製造は羽戸さんらが担い、金型も使われている=長田区真野町、長田中学校
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神戸市長田区の中学生がデザインを考えたビーサン。製造は羽戸さんらが担い、金型も使われている=長田区真野町、長田中学校

 阪神・淡路大震災後、製造がいったん途絶えた国産のビーチサンダル(ビーサン)。およそ10年後に復活したが、それを後押しした金型が、兵庫県稲美町のゴム製品製造会社「兵神(ひょうしん)化学」にある。社長の羽戸(はと)修作さん(64)が、震災で焼けた神戸市長田区の工場から掘り出し、大切に保管してきたものだ。(大田将之)

 ビーサンは1950年代に世界で初めて長田区で作られたとされ、最盛期にはいくつものコンテナに詰められて海を渡ったという。しかし、人件費の削減などで、製造拠点は次第に海外へ移り、安価な海外製品が主流となった。

 兵神化学は昭和後期まで長田区に工場があった。稲美町に移ってからも、鼻緒部分は長田区の業者に金型を預けて作ってもらい、ビーサン製造を続けた。しかし、長田区の業者は震災で大打撃を受けてしまう。

 震災直後、羽戸さんはポリタンクに水を詰め、取引先を回った。変わり果てた長田区のまちに「言葉も出なければ、何も考えることができなかった」。

 その数日後、火災に見舞われた取引先の工場で、がれきをかき分けた。工場には「創業以来、ずっと使ってきた宝物」の金型を預けていた。手作業で、必死で探した。

 「私にはビーサンを作り続けることしかできないなって。せめてもの使命感だったのかもしれないね」と羽戸さん。すすにまみれた金型を見つけた。

 金型の一つの重さは10キロを超える。サイズや模様ごとにあり、預けていた金型の総重量は約1トンに及んだ。車に積み、稲美町と何度も往復した。

 鼻緒を作っていた業者からは震災後「廃業するしかない」と伝えられた。長田区にあった材料の仕入れ先も失い、ビーサンは製造できなくなった。

 それでも羽戸さんは「いつか再びビーサンを作れる日が来るかも」「途絶えさせたくない」と、金型のメンテナンスを続けた。

     ◇

 震災から10年近く、製造の主力をスリッパに切り替えてなんとかしのいだ。「もうあかん」と思っていたころ、神奈川県のビーサンを扱う会社で働いていた中島広行さん(49)から声が掛かった。少しの数でも柔軟に応じてくれる国内の製造業者を探していた。

 製造依頼を受けたときは「うれしくてうれしくて、たまらなかった」。羽戸さんは2004年に、ビーサン作りを再開。がれきの中から見つけた金型に、再び活躍の場が与えられた。

 鼻緒部分は保管してきた金型の一部を長田区の業者に預けて形にしてもらう。天然ゴムを使うなど品質にこだわり、手作業で作るビーサンは話題を集めた。

 21年には、中島さんが立ち上げたビーサンメーカー「TSUKUMO(ツクモ)」と長田区が、ビーサン発祥の地の再興を目指した連携協定を締結。地域を巻き込み、地場産業の復活へ向けた歩みがスタートした。今年は、地元の中学生や障害がある人たちに、デザインを考えてもらうコンテストも企画された。

 羽戸さんらと力を合わせてきた中島さんの思いも熱い。「ビーサンには長田や神戸の人々がつむいできた物語がある。震災で途絶えた地場産業を再び盛り上げ、世界のどこでもビーサンという言葉が通じるぐらいに勢いづけたい」

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