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祖父の戦争体験を胸に「戦争の悲しさを感じてもらえれば」と話す仲村佑奈さん=神戸新聞社(撮影・中西幸大)
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祖父の戦争体験を胸に「戦争の悲しさを感じてもらえれば」と話す仲村佑奈さん=神戸新聞社(撮影・中西幸大)
11日の「島守の塔」上映会で琉球舞踊を披露した=神戸市中央区御幸通8、キノシネマ神戸国際(撮影・鈴木雅之)
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11日の「島守の塔」上映会で琉球舞踊を披露した=神戸市中央区御幸通8、キノシネマ神戸国際(撮影・鈴木雅之)

 太平洋戦争末期の沖縄戦を描き、兵庫県内で公開中の映画「島守の塔」(神戸新聞社、サンテレビなど製作)に、西宮市出身の琉球(りゅうきゅう)舞踊家・仲村佑奈さん(23)が出演している。祖父母の代から続く琉球舞踊「玉城(たまぐすく)流」の家に生まれ、自らも3歳から指南を受けてきた。祖父の沖縄戦の体験を脳裏に刻みながら、映画では平和を願うしなやかな舞を披露した。「大切な人を失った人の心を込めた。戦争の悲しさを感じてもらえれば」と話している。(津谷治英)

 祖父の仲村元一さん(77)は三線奏者で、祖母米子さん(74)と母智子さん(50)は琉球舞踊家。

 元一さんは那覇で生まれた。生後2カ月だった1945年5月、沖縄戦が激化する中、戦火を逃れようとする両親に連れられて親戚の人らと島の北部へ避難しようとしていた。集団は途中、日本兵からスパイと疑われ、多くが虐殺された。「渡野喜屋(とのきや)事件」と呼ばれる。

 佑奈さんは高校生の時、祖父からその話を詳しく聞いた。「おじいちゃんは自分のことを戦争の生き残りと話していた。でも長く、詳しくは話さなかった。仲間が殺された悲しい事実を、教えたくなかったのかもしれない」と察する。

 やがて自らも舞踊の世界へ入るが、兵庫で生まれ育ったこともあり、当初はウチナーンチュ(沖縄の人)の根底にある姿を探るのに苦心した。

 そこで、園田学園高卒業後、沖縄県立芸術大に進学して琉球芸能を専攻。「島歌、踊りは一見明るく、つややかな面がある。でも突き詰めていくと、人間の悲哀を伝える深さがある」と気付いた。

 舞踊の演目の歴史的背景を調べようとしたが、多くの資料が戦火で焼失。あいまいに伝わっている部分が多いことも分かってきた。「本土で生まれ育ったウチナーンチュとして、多彩な芸能文化の題材が生まれた史実、背景を追究していきたい」と意欲を見せる。

 そんな時、神戸市出身の元沖縄県知事・島田叡(あきら)が主人公の「島守の塔」出演の依頼がきた。五十嵐匠監督の「沖縄の真の姿を伝えたい」との意向で、琉球舞踊の演目「貫花(ぬちばな)」を披露した。恋心がモチーフだ。

 「当時、沖縄に生きた人の数だけ悲しい戦争体験がある。恋する人と死に別れた人もいるはず。映画を見た人らに、戦争は人々が大切にしてきた全てを奪うことを知ってもらいたい」

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