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浅井鈴子さん(右)から話を聞く5年生=西灘小学校(撮影・中西幸大)
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浅井鈴子さん(右)から話を聞く5年生=西灘小学校(撮影・中西幸大)

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災で、神戸市立西灘小学校(同市灘区)5年の浅井亜希子さん=当時(11)=が亡くなった。「アッコちゃん」と呼ばれて慕われた少女のこと、そして震災のこと。同小の5年生たちが授業で学んでいく様子を、シリーズ「震災って何?」で報告します。

 神戸市立西灘小学校(灘区)の一室に、浅井鈴子さん(69)が招かれた。11月21日。阪神・淡路大震災で亡くなった少女、「アッコちゃん」のお母さんが5年生に語り始めた。

 「ほんとに真っ暗。明かりが一切ない。みんな、経験したことがないと思う」

 1995年1月17日早朝。自宅が倒壊し、母子2人で生き埋めになった。足を圧迫された亜希子さんは「クラッシュ症候群」を発症する。

 「手術後は病室で呼吸器をつけて、管だらけの姿。ほんの少しの面会時間にはいつも声をかけた。『元気になったら学校に行こうね、友達に会おうね』って。あの子の頭は16日夜で止まっているから」

 懸命に生きようとした亜希子さんはしかし、2月10日に亡くなった。

 「年月が過ぎても毎日悲しくて。家で一人、写真を前に『なんで私じゃなかったんだろう、あんたの方が長く生きられたのに』って」

 娘が生きた証しにと、西灘小に時計を寄贈した。絵本を作った。語り部活動もした。苦しかったけれど、「私のこと、話して」、そんな娘の声が聞こえる気がした。

 「生きていたら、あなたたちのお父さん、お母さんの世代が私の娘。そう思うと、くやしい、悲しい、つらい。でも、こうやって亜希子のことを伝えて、『命って大切やな』と思ってくれるなら、うれしい」

 授業が終わると、児童全員が立ち上がった。「ありがとうございました」。声をそろえ、おじぎをする。鈴子さんは優しいまなざしで、教室を後にした。

【バックナンバー】
(3)朗読 母娘2人でふたつの命支えた
(2)日常 生きてたら、友達になりたい
(1)時計 同じ学校、同い年の子死んじゃった

震災28年U28震災後世代アッコちゃんの授業神戸
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