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加島屋の名を広めようと奔走する西野久子さん。自宅には先祖代々の名前などが記された「過去帳」が残る=芦屋市内
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加島屋の名を広めようと奔走する西野久子さん。自宅には先祖代々の名前などが記された「過去帳」が残る=芦屋市内
江戸時代に建てられたと伝わる「加島屋本宅」の再現模型。店舗兼住宅で広さは約1500平方メートルあった。現在は大同生命保険のビルが立つ=大阪市西区江戸堀1、大同生命保険大阪本社
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江戸時代に建てられたと伝わる「加島屋本宅」の再現模型。店舗兼住宅で広さは約1500平方メートルあった。現在は大同生命保険のビルが立つ=大阪市西区江戸堀1、大同生命保険大阪本社
広岡家に伝わる平安後期の阿弥陀如来像。阪神・淡路大震災で損傷し、現在修復が進められている(西野久子さん提供)
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広岡家に伝わる平安後期の阿弥陀如来像。阪神・淡路大震災で損傷し、現在修復が進められている(西野久子さん提供)

 江戸期から明治期にかけ、大阪で名をはせた豪商「加島屋(かじまや)」。三井家や鴻池家と並ぶ存在だったが、近年まで史料がほとんど見つからず、商いの詳しい中身や暮らしぶりは謎に包まれていた。そんな中、兵庫県芦屋市に住む子孫の女性が「加島屋の歴史を後世に残したい」と奮起。史料を神戸大に寄託したり、実家や親戚宅に保管されていた文化財の修復に取り組んだりし、再び今、加島屋に注目が集まる。(谷川直生)

■大名貸しで成長

 加島屋は、摂津国川辺郡東難波(ひがしなにわ)村(現尼崎市)出身の初代広岡久右衛門(きゅうえもん)が、1625年に大阪で創業した。米取引で財を成し、大名への融資「大名貸し」などで豪商へと成長。世界初の先物取引所とされる「堂島米市場(こめいちば)」の初代頭取役も務めたとされる。

 また、NHKの連続テレビ小説「あさが来た」のモデルで、大同生命保険の創業者の一人、広岡浅子も一族に当たる。

 そんな広岡家にルーツを持つのが、西野(旧姓広岡)久子さん(64)だ。10代目久右衛門の孫として生まれた。

 ただ、かつては「どうしても家柄を好きになれなかった」と振り返る。父は7歳の時に病死し、長女の西野さんは祖父から「結婚して婿養子をとりなさい」「広岡の名を絶やすな」と言われて育った。

 しかし、広岡家が設立した「加島銀行」は昭和の金融恐慌で経営破綻に追い込まれ、私財を処分して債務の返済に充てたため、西野さんの子ども時代にはすでに「名家」は傾いていたという。

 結婚し、実家を離れた西野さんだが、「好きになれなかった」ルーツと向き合うきっかけの一つが、2015年に放映された「あさが来た」だった。

 それまでほとんど知らなかった生家の歴史を知り、研究者とのつながりも生まれ、「誇りを持てるようになった」。

■幕府にも影響力

 西野さんが出会った研究者の一人が、神戸大経済経営研究所の高槻泰郎准教授(日本経済史)だ。

 加島屋研究の第一人者で、「幕末から明治初期には、一つの藩の財政規模並みの資産があり、幕府の政策決定にも影響力を持っていた」と話す。

 高槻准教授によると、1863年に発行された長者番付には、日本各地の商家が名を連ねる中、東の大関「鴻池善右衛門」と肩を並べる西の大関として「加島屋久右衛門」と記されていたといい、「三井は別格だが、鴻池と加島屋が幕末の金融市場を支える筆頭だったことを示している」と説明する。

 鴻池家などと比べ、広岡家の史料は少ないとされていたが、朝の連続ドラマが放映された2015年、高槻准教授が「研究者にとって大きな事件」と表現する発見があった。

 奈良県の子孫宅に約2万点の文書のほか、ひな人形や節句飾りなど文化的価値のあるものも眠っていたことが判明。現地調査を行った高槻准教授は「日本最大級の商家の歴史は日本の金融史そのもの」と話す。

 広岡家があらためてクローズアップされる中、西野さんは昨年、今後の研究に役立ててもらおうと、約1万2千点もの史料や写真を神戸大に寄託した。

 さらに今年3月には、実家で安置していた約800年前の平安後期に作られた阿弥陀如来像などを修復するプロジェクトを立ち上げた。像は祖父が大事にしていたものだが、阪神・淡路大震災で損傷し、自立不能になっていたという。

 「広岡家や加島屋のことを100年先まで伝えたい」と西野さん。広岡久右衛門の名は、祖父の代で途絶えたが、歴史を次代につなぐことが「私の使命」と話している。

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