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明石市が保管してきた歩道橋の手すり。20年間を経て湾曲が分からない状態に戻っていた=明石市内(撮影・小林良多)
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明石市が保管してきた歩道橋の手すり。20年間を経て湾曲が分からない状態に戻っていた=明石市内(撮影・小林良多)
事故直後の手すり。大きくゆがんでいる(明石市提供)
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事故直後の手すり。大きくゆがんでいる(明石市提供)

 2001年7月、兵庫県明石市の花火大会で見物客11人が死亡、247人が負傷した明石歩道橋事故で、殺到した人の重みで曲がった歩道橋の手すりが、今も同市内の防災倉庫に保管されている。21日で発生から丸20年。長い年月で湾曲がほぼ分からない状態に戻ったが、事故当時、1メートル当たり最大158キロの力がかかった現場の惨状を今に伝える。

 事故は01年7月21日午後8時45~50分ごろに発生。当時、少なくとも約6千人以上が幅約6メートル、長さ約104メートルの歩道橋に滞留し、群衆雪崩が起きた。0~9歳の子どもと高齢者の11人が命を落とした。

 同市によると、手すりは歩道橋西側の鉄製アームで支えられていたステンレス製のパイプ3本、計約30メートル分。事故後の鑑定では、西側の2カ所で最大10センチの幅で曲がり、「W字」に変形していたという。

 手すりは事故の翌年、遺族会が歩道橋の南西端に犠牲者11人をしのぶ慰霊碑「想(おも)いの像」を設置するために撤去。一部は警察に証拠品として任意提出された。返還後は市が保管し、事故から10年目に合わせ、市防災センターに新設した資料展示室での公開も検討したが、遺族らの「生々しい展示は避けて」との意向で実現しなかった。

 市によると、09年に保管先を移した際は湾曲がまだ確認できた。手すりは、外圧がなくなると一定の期間で元の状態に戻る弾性変形だったとみられるという。歩道橋の建設に携わった同市の福田成男理事(67)は「事故の惨劇と教訓を伝える貴重な資料。機会があれば活用したい」と話す。(小西隆久)

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