クラブ生え抜きの象徴が、覚悟を胸に旅立った。J1神戸からJ1横浜FCに移籍したFW小川慶治朗が、神戸新聞の取材に応じた。下部組織から16年間を過ごし、サポーターから愛されてきた28歳は「ファンの後押しで頑張って来られたけど、そこに甘えていた部分もある。また一から挑戦したい」と率直な心境を語った。(聞き手・山本哲志)
-移籍を決めた理由は。
「神戸から離れないと、自分のサッカー人生が終わってしまうんじゃないかと考えていた。スタメンでほとんど出られず、出ても残り5分とか。ただ、自分がやれてないから出られない。『このままでいいんか』というその葛藤が続いていた」
-神戸のエースナンバー「背番号13」を2012年から背負ってきた。
「試合にずっと出て勝たせるのがエース。神戸を背負ってやっていかなあかんという気持ちはあったけど、思い通りにプレーできない。今までエースナンバーを気にしなかったが、コロナでファンと交流できずに結果だけを求められたとき、自分が中心となってやれていないと感じていた」
-神戸からは契約延長のオファーがあった。
「去年のあの程度の活躍でも『残ってほしい』と言ってもらえて感謝している。期限付き移籍でも、とも言ってくれたけど、守りの気持ちが出るのが嫌だった」
-昨年2月のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の初戦で3得点。対戦相手の棄権で無効になったものの、滑り出しは良かった。
「幻のハットトリックは大々的に取り上げてほしい(笑)。世界を探してもあるんかな。記録には残らなかったけど、みんなの記憶に残ってくれたらうれしい」
-昨季はJ1通算200試合出場を達成した一方、1得点に終わった。
「200試合は誇らしいけど、そこで残した結果に目を向けないと。(通算29得点は)もっと取らないといけない。フィンク(前監督)にも『去年までのお前じゃない。使いづらくなった』と言われていた。躍動していないのは自分も気付いていて、いろいろ変えようとしたけど…。自分に勝てなかった」
-コロナ禍の影響も大きかった。
「メンタルの弱さに気付いた。ファンの後押しで頑張ってこられたが、ここ何年かは(非公開練習が多く)練習場にもあまり来てもらえないし、去年はスタジアムでも声援ができない。応援されてきたありがたみを感じるとともに、『甘えてたんやな』と。移籍して新たにチャレンジしないといけない、という考えが芽生えた」
-幼なじみの江坂任(あたる)がJ1柏で9得点10アシストと飛躍した。
「親友として常に活躍はチェックして刺激をもらっている。チームの中心でやっているのがうらやましかった。何かを変えないと勝てないという気持ちにもなった。そういったいろんなものを含めて、自分の中でリセットが必要だった」
-神戸で一番思い出に残っているのは。
「毎年、聞かれたら答えられるぐらい思い出があるが、やっぱり2010年終盤が記憶に残る。ほぼ降格というところから盛り返して残留できた。ヴィッセル全体が一致団結して、スタジアムも一体感に包まれて、みんなで涙流して…。あの感動は忘れられない」
「天皇杯で優勝したときの団結感もすごかった。負ける気がしなかった。たとえベンチでも選手がチームを信頼して、チームに信頼されていると感じていた。ただ、それでリーグ戦の悪かったところを僕も含めて忘れてしまった。もう一度締めないといけなかった」
-昨季も一発勝負のACLでベスト4に躍進したが、リーグは14位に沈んだ。
「神戸はまだ発展途上で方向性がぶれがち。目指しているサッカーもシーズンを通してできなかった。声援がないことがこんなにこたえることなのかと。声援を受けるたびに『一緒に頑張ろう』という気持ちになるが、それがない。応援されているのは分かっているはずなのに、自分たちを信じきれなかった。2010年や天皇杯のような一体感を出せたら強いチームになると思う。僕は神戸を離れるけど、神戸で育ったことには変わりない。強いチームになってほしい」
-横浜FCの印象は。
「シモさん(下平監督)のイメージは強い。レイソルユースの監督をしていたとき、僕ら(神戸ユース)と対戦したチームもめっちゃ強くて。自分の哲学を持ってやっていると聞いていた」
-神戸でもプレーした53歳の三浦知良も在籍する。
「(震災20年の)チャリティーマッチのとき、背番号12はないから11番のカズさんと隣同士でたくさん話をしてくれた。カズさんからしたら僕なんかまだまだ若手。絶対吸収できるものがある」
-20日に始動する。
「昨季は成績は良くなかったけど、長い目で見たらプラスだったと思えるようにしたい。そのためにも、今シーズンは最初からいいスタートダッシュを切らないといけないと思ってます」