2005年4月の尼崎JR脱線事故は、乗客106人が死亡し、562人が負傷した。遺族や乗客のその後を伝え、記録するため、神戸新聞社は事故の翌年から毎年、アンケートをしてきた。これまでに遺族110人、乗客156人が応じ、うち遺族37人、乗客56人は毎年、回答を寄せてくれた。アンケートに刻まれた遺族と乗客の5年間を振り返ってみる。
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体重は5年で9キロ減った。「息子にも腕相撲は負けなかったのに。今の姿は見せられへん」。長男=当時(34)=を亡くした伊丹市の男性(69)は、やせ細った腕に目をやった。事故後、視力が落ち、頭痛が続く。
精密検査でも原因は分からず「心的ストレス」と言われた。年々ひどくなり、夏場は寝転んでいることしかできなくなった。事故3年のアンケートに〈この先どうなるのか〉と、将来への不安を初めてつづった。
長男の妻は孫2人の子育てと仕事に忙しい。生活も苦しい。長男の妻は事故後、父も亡くし、洗濯機の修理など自分を頼りにしてくれる。それだけに、長男の妻に負担をかけたくない。
「今後、どうしたらいいですか。ヒントをください。お金では済まんですよ」。男性はすがるように、私たちに訴えた。
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毎年、回答した遺族37人のうち26人が子どもを亡くした親だ。アンケートには悲しみとともに、将来への不安が年を経るごとに目立ってきた。
〈老いていく事が夜も寝られなくなるほど心細くなる〉
そうつづった女性(73)を大阪府内の自宅に訪ねた。亡くなった長女と並ぶ写真が居間にあった。
長女は結婚した後も孫を連れて、よく訪ねてきた。買い物や紅葉狩りにも出かけた。老後を気遣ってくれた長女の言葉をよく思い出す。「うちの近くにアパートでも借りてくれたら、面倒みるし、心配せんといて」
事故後、長女の夫の家族とは、悲しみの受け止め方に距離を感じ、疎遠になった。孫が家に寄ることも減った。事故後、亡くなった息子や娘の結婚先の家族と溝ができたケースを、私たちはいくつも見聞きしてきた。
この女性は補償交渉を長女の夫と別々にした。JR西日本は、死亡交通事故の親1人の慰謝料を「140万円」とし「少し上乗せした」額を提示した。それ以外、何もなかったが、合意した。夫らにJR西からいくら払われたのかは知らない。
「慰謝料は、いわば『悲しみ代』。でも、私には悲しみだけでなく、これから先の生活がある。何かあったとき、どうしてくれるのか」。長女の写真を手に、女性の声がかすれた。(高田康夫)
2010/4/21