ノーベル医学生理学賞が決まり、8日、京都市内で記者会見した山中伸弥京都大教授(50)は、家族や同僚への感謝の言葉を重ねた。人工多能性幹細胞(iPS細胞)は難病患者たちの希望を開く。喜びとともに語ったのは責任の大きさ。「受賞は光栄だが、研究を続けて本当の意味の社会貢献をしたい」と決意を述べた。(紺野大樹、小川 晶、山岸洋介、斉藤正志)
午後8時前、100人を超える報道陣で埋まった京都大本部棟の大会議室。山中伸弥さんはグレーのスーツでにこやかに現れたが、席に座ると一転、表情を引き締めた。
野田佳彦首相から祝福の電話を受けた後、記者会見を始めた。「iPS細胞研究所所長の山中でございます」と切り出し「感想を一言で表すなら、感謝」と語った。
研究の過程から受賞まで、丁寧に言葉を選びながら振り返り、研究を支えてきた大学や同僚への謝意を続けた。
「80歳を超えた母に報告できたことが本当に良かった。亡くなった実父も義父も喜んでくれていると思う」と家族への思いを口にした。
受賞については光栄としつつも、「真理を覆うベールを一枚めくっただけ」と表現。iPS細胞の研究が途上であることを強調し、「本当の意味の医学応用を実現させなければならない。来週からは研究に専念したい」と語った。
研究のために体細胞を提供した明石市の山本育(いく)海(み)君(14)ら、難病治療を待ちわびる患者への思いを問われると、ひときわ厳しい顔つきに。
「私たちと難病に苦しむ人の1日、1カ月は違う」とし、「名前は『万能細胞』だが、実際は病気を治すのに5年、10年とかかる。私たちも日々挑戦している。希望を持っていてほしい」と強い口調で述べた。
この日は、自宅で洗濯機を直そうと座り込んでいたときに携帯電話が鳴り、受賞を知ったという。ユーモアを交えて語った山中さんは、大阪で育った経歴に触れつつ「米国での生活で、考えを伝えるために笑いを盛り込む大切さを学んだ」とほほ笑んだ。
◇
山中伸弥教授は8日夜、京都大学で、緊張した面持ちで会見に臨んだ。
「日本、日の丸の支援がなければ受賞できなかった。日本という国が受賞した。喜びとともに、大きな責任を感じる。iPS細胞は大きな可能性があるが、実用化されていない。医学応用を実現させ社会に貢献したい」
-総理とのやりとりは。
「総理大臣と直接話すのは生まれて初めてで、緊張した。『おめでとうございます、国を代表してお祝いの言葉を述べさせてもらう』と言葉を頂いた」
-家族の反応は。
「ピンと来ず、ぼうぜんとしていた。母親にも電話で伝えたら『ヒャアー、よかったなぁ』と」
-ユーモアはどこで学んだのか。
「本当はもっと面白い人間と思うが、これだけの方が目の前にいるし、総長(学長)も横に座っているから、なかなか言えない」
-若い方にメッセージを。
「研究はアイデアや努力次第でいろんなものを生み出せる。日本の天然資源は限られているが、知的財産は無限。国の大きな力になる。病気に苦しむ方の役にも立つ。そんな仕事に一人でも多く参加してほしい」
▼難病と闘う明石の山本君 研究加速に期待
山中さんのノーベル賞受賞は難病と闘う少年にも希望を与えた。筋肉の細胞が骨に変わる病気の患者で、京都大の人工多能性幹細胞(iPS細胞)研究に体細胞を提供した明石市立魚住中学校3年生の山本育(いく)海(み)君(14)。待機していた明石市役所で受賞の報を聞き「良かった。本当にすごい」と手をたたいて喜んだ。
育海君は8歳の時に200万人に1人の発症とされる希少難病「進行性骨化性線維異形成症(FOP)」と診断された。激痛を伴い骨化が進む。
育海君と母智子さん(39)は2010年に山中さんの研究に望みをかけ、京大に皮膚を提供。山中さんは「いっくん(育海君の愛称)も一生懸命頑張る研究者がいることを忘れないで」と励まし、「研究者で力を合わせ、今できる最大限の努力をする」と育海君に約束した。
会うたびに体を気遣ってくれる山中さんは、育海君にとって「優しく、大きな存在」になった。この日、受賞を伝えるニュースを食い入るように見つめた育海君は、智子さんと何度も「すごいね」とうなずきあった。「受賞を機にさらにiPSの研究が進み、一日でも早く薬ができれば」と智子さん。病気を「神さまからの宿題」ととらえて運動などを我慢してきた育海君も「これで宿題も早く解けると思う。思いっきり友達と遊びにいきたい」と声を弾ませた。(広畑千春、石沢菜々子)
2012/10/9











