その日は珍しく、不穏な空気が流れていた。
66~96歳の7人が共同生活を送る「グループリビングてのひら」=高砂市。1階の居間から、最年長の板東初子さん(96)が興奮した様子で出てきた。
「恥かきましたよ!」。いつになく大きな声。
事情を聞く。「あの人が『昼ご飯よ』って声掛けるから居間に下りたけど、誰も来やしません。しばらく待って結局1人で食べましたっ」。まくし立てる。
この日、居間は「コミュニティー喫茶」として開放され、地域住民もいた。昼食もいつもより1時間早い。
知らない人ばかりで居心地が悪かったのか。板東さんは不機嫌なまま、3階の自室に戻った。
怒りの矛先となった“あの人”は「早めに知らせた方が、ゆっくり準備できると思っただけなのに」と困り顔だ。
だが数時間後、2人は廊下で談笑していた。拍子抜けしていると「けんかやないんやから」。あっさり流された。
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てのひらで過ごしていると、時折ぼそっと聞こえてくる。「勝手やねん」「また余計なこと言うて」。住人たちの“同居人評”だ。
境遇も環境もばらばらな7人が、一つ屋根の下で暮らす。摩擦は避けられない。
夕食時にぎくしゃくする場面も目にした。「おしゃべりがうるさい」と顔をしかめる人。すかさず「静かすぎると葬式みたいや」。そして互いに聞き流す。
見ていると、特定の人と部屋を行き来したり、一緒に出掛けたりするような付き合いもない。
つかず、離れず。長い人生を経てきた者同士の割り切り。この生活に必要な知恵なのかもしれない。
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ある晩、温厚な水野博司さん(66)=仮名=がぶすっとしていた。
夕食後は居間に長居せず、自室に一斉に引き揚げるのがルール。テレビやエアコンの消し忘れが相次いだため、皆で取り決めた。
この日は、水野さんが好きなプロ野球のナイターがあった。テレビは自室にもある。だが、試合は白熱。居間の大画面で見たかったのだ。
その時。「お先に」「もう、あがろか」。何人かが促した。「わかっとうわ」。声がとがっていた。
「ストレス? もちろんあるわな」。水野さんは照れくさそうに打ち明けた。「でも、妥協せんとあかん。助け合っていかなあかんからな」
病気で右目が失明し、左目の視力も弱い。移動する時は、隣室の長岡千代子さん(84)と誘い合う。その長岡さんは足腰が悪く、歩行器を手放せない。
夕食まであと5分。「行こか」。2人は隣り合ってエレベーターに乗り込んだ。(宮本万里子)