少し息を吸い込んだ後、莉子が一気に話し始めた。普段はなかなか言えない職員への思いを、短い文章に込めた。
「いつも感謝しています。とても、信頼しています」
3月17日。児童養護施設「尼崎学園」のホールで開かれた「中3卒業を祝う会」。地域の人ら約70人が席を埋めた。多くの子が中学卒業後に働き、ここを退所していった名残で、ほとんどが高校に進む現在も3年生が決意を発表する。
莉子は中1で尼学に来た。学校ではひたすら自分を隠し、いつも下を向いていた。尼学では、ささいなことで職員とぶつかり、思い通りにならないと暴れた。「私の気持ち、誰も分かってくれない」が口癖だった。
でも、ひどいことを言って傷付けたはずの職員が、最後まで話を聞いてくれた。真剣に自分のことを考えてくれた。行事を通して、地域の人が支えてくれていることも実感した。次第に前を向けるようになった。
「家族には恵まれているとは言えなかったけど」。決意文で莉子が続ける。「周りにいる大人たちや児童にはとても恵まれていると思いました」。声に力を込めた。「高校を絶対、卒業します」。大きな、大きな拍手が湧いた。
◇ ◇
プールに張った氷が消え、鮮やかな緑が園舎を覆い始めた。尼学に春が来た。
進級、進学、就職。それぞれの新生活が始まる。しかし少し前まで、子どもたちの心が最も揺れた時期でもあった。
尼学はかつて、多くの児童養護施設と同様、「大舎(たいしゃ)制」を取っていた。最大9人の子どもが、「兄ちゃん、姉ちゃん」と呼ぶ担当職員と、一つの部屋で暮らしていた。
「養育者が代わらないことの大切さ」が浸透していない時代。毎年、担当職員と部屋がかわった。生活に慣れてきた頃に環境が変化した。副園長の鈴木まやが言う。「強いて言えば、毎年4月に家族が新しくなるようなものでした」。園舎全体がざわざわしていた。
4年前、尼学は園舎を建て替えた。子どもの個室やリビング、台所、風呂、トイレをグループごとに備える「ユニット制」を導入した。最大6人が退所まで同じ空間で暮らす。担当職員も固定した。成長もつまずきも見守り、一番近くで声に耳を傾ける。
鈴木が実感する。「親でなくても、同じ大人が子どもを養育し続けることで、愛着関係を結びやすくなっている」
年々、穏やかな日常に変わりつつある尼学の春。そんな中、新たに一歩を踏み出した子どもたちを追った。
(敬称略、子どもは仮名)
記事は岡西篤志、土井秀人、小谷千穂、写真は風斗雅博が担当します。
【児童養護施設】虐待や経済的困窮、親との死別などが原因で、こども家庭センター(児童相談所)に一時保護された子のうち、家庭に戻れない2~18歳(原則)が入所する施設。2017年4月時点で全国に602施設があり、兵庫県内は32施設。近年、児童虐待が増加傾向にあり、児童養護施設にいる子の約6割が虐待経験があるとされる。里親や里親ファミリーホーム、児童自立支援施設なども合わせ、「社会的養護」と呼ばれる。
【尼崎市尼崎学園】神戸市北区道場町塩田にある児童養護施設。通称「尼学(あまがく)」。尼崎市社会福祉事業団が運営する。戦時中、関西学院の修養道場に尼崎市内の児童が集団疎開し、戦後、関学が同市に土地と建物を提供。戦災孤児や浮浪児らを受け入れてきた。4年前、生活の場を6人単位の個室がある空間「ユニット制」に移行し、個別ケアを充実させた。現在、3歳から18歳までの計39人が暮らす。
2018/5/4