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遺骨収集の調査隊がブーゲンビル島で発見した太平洋戦争中の砲弾=2013年9月(全国ソロモン会提供)
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遺骨収集の調査隊がブーゲンビル島で発見した太平洋戦争中の砲弾=2013年9月(全国ソロモン会提供)

  • 遺骨収集の調査隊がブーゲンビル島で発見した太平洋戦争中の砲弾=2013年9月(全国ソロモン会提供)

遺骨収集の調査隊がブーゲンビル島で発見した太平洋戦争中の砲弾=2013年9月(全国ソロモン会提供)

遺骨収集の調査隊がブーゲンビル島で発見した太平洋戦争中の砲弾=2013年9月(全国ソロモン会提供)

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 1944(昭和19)年12月末、ブーゲンビル島(墓島(ぼとう))で、元陸軍少尉の遠藤毅さん(93)=西宮市=は、戦場の最前線から中隊の拠点に退いた。攻勢を強める豪軍主力の連合軍が間近に迫り、中隊長から偵察を命じられる。

 「斜面をはって敵の陣地に近づいたら、銃の照準を合わせて待ち構えとった。一緒にいた2人の部下がいきなり撃たれた。僕も腰と右膝、左足の爪先に計3発くらった」

 「何とか拠点に戻ったら、軍医が診てくれた。薬も何もないからほんまに診るだけや。壕(ごう)に横たわっとるうちに血は止まったけど、今度は白血球が出てきた。これがものすごい臭い。かぎつけたキンバエが飛んできて、傷の上をなめながら産卵しとる。はらってもはらってもどうしようもない。体中が痛くてそれどころやなかったし、いらん労力は使わんとこ思うて、放っとくことにした」

 銃弾が貫通した右膝は腱(けん)が傷つき、まともに歩ける状態ではなかったが、中隊長から再び命令を受ける。後退か玉砕か、後方に戻って確認してくるように命じられた。この年の大みそか、遠藤さんは付き添いの衛生兵を伴って、中隊の拠点を出発した。

 「体はしんどかったけど、それよりも、中隊長が『正月には100グラムの米を出す』って言うとったから、米を食べられないのがとにかく残念でな。やけど、残っとったら生きてなかったかもしれん。僕が離れてすぐ、拠点に砲弾が直撃して中隊長も死んだ」

 「僕は敵に見つからんように、人が通っていない崖を下っていった。竹で体を支えながらいくんやけど、腱をやられとるから1歩進むたびに倒れる。そうすると、付き添いの衛生兵が起こしてくれた。十数時間かけて、大きな道までたどり着いたところで倒れ込んだ。もう1ミリも動けない。カロリーを使い果たしたような、初めての体験やった」

 仲間に発見された遠藤さんは、治療のため、ヌマヌマまで担架で搬送してもらうことになった。

 「将校やから大切にしてくれたんやろうな。前線ちゃうし、兵隊の数もまだ余裕があったから、4人がかりで運んでくれた。ヌマヌマには一応、病院みたいなところがあった。布1枚敷いたところに横になるだけやけど、中隊の拠点では壕で寝転がるしかできなかったから、だいぶええわな」(小川 晶)

2014/8/19
 

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