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「ありのままの事実を語り継ぐことが、日本人として必要なこと」と話す遠藤毅さん=西宮市(撮影・三浦拓也)
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「ありのままの事実を語り継ぐことが、日本人として必要なこと」と話す遠藤毅さん=西宮市(撮影・三浦拓也)

「ありのままの事実を語り継ぐことが、日本人として必要なこと」と話す遠藤毅さん=西宮市(撮影・三浦拓也)

「ありのままの事実を語り継ぐことが、日本人として必要なこと」と話す遠藤毅さん=西宮市(撮影・三浦拓也)

 「墓島(ぼとう)」と呼ばれたブーゲンビル島では、約3万3600人(厚生労働省調べ)の日本兵が命を落とした。元陸軍少尉、遠藤毅さん(93)=西宮市=は現地で自ら体験した「戦闘」については振り返るものの、「戦争」について自身の考えを語ろうとしない。

 「僕が体験したのは太平洋戦争の、ブーゲンビルいう小さな島の、その一部の戦闘だけなんやね。その戦闘いうたかて、将校ではあったけども、自分でどうこうしたわけやあらへん。『敵を攻めろ』『陣地を守れ』って任務を与えられ駒として動いただけ」

 「その一将校がやな、確かに自分が体験した戦闘は戦争の一部であるんは間違いないけど、『戦争とはこうだ』なんて語るのは無理やろ。戦争を語れるとしたら、参謀本部のお偉いさんぐらいちゃうか」

 「あくまでも一般論」。そうことわった上で、遠藤さんは言う。

 「太平洋戦争では、日本の兵隊だけで240万ぐらい死んどる。この数字みたって、戦争いうもんをやったらあかんちゅうのは誰でも分かる。一般の国民も、空襲とかでひどい目に遭ったわな。戦争を始めたお偉いさんとかは覚悟を決めとったかも分からんけど、その判断に全く関係ない国民が犠牲になるいうんは、矛盾しとるわな」

 「日本はもちろん、世界中で戦争を望むもんはまずおらんやろ。それでも各地で起こっとる。宗教も価値観も、豊かさも違う。そんな人間が境界を接して暮らしとる。戦闘で生き残ったもんとして、戦争は二度とあってはいかんと思うけど、一方で世界の現状や歴史の原則でみればやな、日本でもいつか、また戦争が起こるんやないかとも思う。そういう意味でも、僕は自分の戦闘体験はいくらでも話すけど、戦争がどうとかはようしゃべらん」

 遠藤さんは講演会などで、若者らに自身の体験や戦時中の率直な思いを語り続けている。

 「最近な、『戦争はあかん、平和がええ』って単純化した概念だけが独り歩きしとるように感じる。戦争を自分たちと関係ない、単に国と国とのけんかのように、軽く思うとるんちゃうか」

 「僕はね、墓島で部下を150人ぐらい失った。人間の命はかけがえのないものっていうのが今の常識やけど、当時の僕は自分も含めて、死ぬのが当たり前やと思ってたし、極端に言えば『いちいち悲しんでいられるか』って気持ちやった。そういう70年前の感情や経験をありのままに話すことでな、聞いた人が何かを感じてくれればって思ってる。日本人が弾を撃って、殺し合いをしとったってことすら、薄れた世の中になってもうてるから」=おわり=

(小川 晶)

2014/8/31
 

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