連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

第9部 ゆく際(きわ)、くる人

  • 印刷

 広い兵庫県で東西南北の端っこを訪ね歩き、国境ならではの交流や違いを知る「新五国風土記 第9部」。西の端では、播磨と備前、美作のつながりを追い、越境の名品が生まれる源流をたどった。

越県合併の静かな“証人”
開業時は岡山県だった備前福河駅。駅名に「備前」が付くのはその名残だ=赤穂市福浦(撮影・斎藤雅志)
開業時は岡山県だった備前福河駅。駅名に「備前」が付くのはその名残だ=赤穂市福浦(撮影・斎藤雅志)

 秋の日はつるべ落とし。収穫を終えた田んぼが描き出す茶色の風景に、小さな駅舎が溶け入る。

 西を向けば山並み、東を向いても山並み。その麓から黄色の電車が顔を出し、誰もいないホームに滑り込む。一人、二人とわずかな客が足早に降りていく。

 兵庫県の西端、JR赤穂線の備前福河駅。人口約630人の赤穂市福浦地区にたたずむ無人駅は、長らく統計資料から消えた存在だった。

 発端は、開業から8年後の1963(昭和38)年に地元で成立した越県合併。岡山県日生(ひなせ)町から福浦地区が切り離され、昔から縁の深い隣接の赤穂市に移った。駅名は変わらず、そのまま残った。

 鉄道駅の乗降客数をまとめた岡山県発行の統計資料は、合併によって、同年発行の61年版を最後に備前福河駅の記載が消える。だが、組み込んだ兵庫県側の資料に同駅が登場するのは89年版を待たなければならない。

 27年間分の記録が抜け落ちた理由は、同駅の管轄が合併後も国鉄の岡山鉄道管理局にとどまったためとみられる。兵庫県側は、県内をほぼ網羅する大阪と福知山の鉄道管理局のデータのみを引用し続け、87年のJR西日本発足による管轄の見直しまで空白が続いた。

 その前後で、1日の乗客数は412人(61年)から214人(89年)とほぼ半減。過疎化で直近の2016年は35人とさらに落ち込んだ。兵庫県域で唯一、旧律令(りつりょう)制の備前国だった歴史の“証人”は静かに時を過ごす。

 日没が迫り、西の山並みに朱色がこぼれる。吸い込まれるように岡山行きの電車が遠ざかっていく。

 備前福河駅に、学ラン姿の上郡高校1年、有吉晴信さん(16)が降りてきた。駅前に止めておいた自転車のかごにかばんを詰め込んでいる。

 「姫路やたつのの人とは言葉のイントネーションがちょっと違うかな。播磨じゃないけど、備前という意識もないし。正直、どっちでもいいです」

 そう笑うと、野焼きの煙がたなびく薄暗い田園風景にペダルをこぎ出していった。

赤穂・福浦に伝わる備前焼
吉栖清美さん宅で使われていた大きなかめ。備前焼と伝わる=赤穂市福浦
吉栖清美さん宅で使われていた大きなかめ。備前焼と伝わる=赤穂市福浦

 高さ110センチ、直径60センチ。子どもの全身をすっぽり隠すほどの大きな茶色いかめが、玄関前の植栽にうずもれている。

 「和室に飾るような高級品やないけど、備前焼らしいんや」

 兵庫県赤穂市福浦地区で生まれ育った吉栖(よしずみ)清美さん(79)が笑う。先祖が岡山県から大八車で運んできたと伝わり、約60年前までは農業に使うために風呂の残り湯をためていたという。

 住民の普段の買い物も、通う高校も、勤め先も赤穂の中心部という福浦。その結び付きの強さゆえに、激しい住民運動の末、兵庫県に編入されて半世紀余り。かつて属した岡山県、備前国をしのばせるものは「備前福河」の駅名や、海沿いにたたずむ旧国境(くにざかい)の石碑ぐらいしかない。

 吉栖さん宅に残るような備前焼のかめも、かつては地区のあちこちにあった。家庭での貯水や田んぼの肥だめなどに使われていたそうだが、今ではほとんど見られない。

名刀長船と「千種鉄」
鋼を打ち延ばす「古式鍛錬」の実演。火花や水蒸気が激しく飛び散る=岡山県瀬戸内市長船町長船、備前長船刀剣博物館
鋼を打ち延ばす「古式鍛錬」の実演。火花や水蒸気が激しく飛び散る=岡山県瀬戸内市長船町長船、備前長船刀剣博物館

 カン、カン、カン。

 ゴムのようにぐにゃりと曲がった真っ赤な鋼から、火花が飛び散る。鍛錬の作業を仕切る「横座(よこざ)」の指示に従って、「先手(さきて)」の2人が交互に金づちを打ち付ける。

 備前を代表する伝統工芸として、焼き物とともに知られる日本刀。岡山県瀬戸内市の「備前長船(おさふね)刀剣博物館」では、刀工や研師(とぎし)、鞘(さや)師など職人による熟練の技術を今に伝える。

 武家の世となった鎌倉期以降、一世を風靡(ふうび)した逸品の原材料にも、兵庫との関連がある。6世紀以降、岡山と県境を接する現在の宍粟市周辺で産出されていた「千種鉄」だ。鎌倉期には、長船の刀工が周辺を訪れたとの記録も残る。

 兵庫県立歴史博物館(姫路市)の藪田貫(ゆたか)館長(70)=日本近世史=は、中世に播磨、備前、美作(みまさか)の「播備作(ばんびさく)」を広域支配した赤松氏の影響が大きいとみる。足利将軍の陣所で千種鉄の刀剣を製造するなどブランド化を推し進め、国境をまたいだ“鉄のみち”による結び付きが強まった可能性があるという。

 戦国末期、赤松氏の播備作支配は崩壊するものの、江戸期に入り、姫路城を築いた「西国将軍」池田輝政が君臨。一族は播磨、備前を中心に100万石近くを治めるが、後継問題などによって10年ほどで播磨を去り、諸藩に分割されていく。

 池田家一族による広範な統治が明治期の廃藩置県まで続いていれば、播磨、備前の国境の風土は今と全く違っていたかもしれない-。藪田館長は、笑いながら仮説を披露した。「いろいろと想像力をかき立てられますが、その場合、播磨は兵庫県に含まれず、備前などとともに別の県を構成していたかもしれませんね」

兵庫の西端に息づく「七国」
千種鉄で製造された刀剣=宍粟市千種町西河内、たたらの里学習館
千種鉄で製造された刀剣=宍粟市千種町西河内、たたらの里学習館

 兵庫県の姫路を中心とした播磨に、赤穂市福浦地区の備前。播備作の3国のうち、残る美作に含まれていた地域も兵庫県にはある。

 宍粟市に接し、千種鉄の産地にほど近い佐用町石井地区。1896(明治29)年、旧石井村が岡山県吉野郡から兵庫県佐用郡に編入されてからも、県境をまたぐ交流が続いた。

 地区内の奥海(おねみ)集落で暮らす安本文男さん(84)の妻は、岡山県東粟倉村(現美作市)の出身。安本さんが今も通う行きつけの喫茶店は岡山側にある。同世代との会話では、時折岡山弁の「けん」が語尾に出る。

 「佐用の市街地まで22キロ、美作まで11キロ。子どもの頃は峠を越えて美作によう行っとったけど、車やバイクが普及して、若いもんの生活圏は佐用に吸収されてもうたなあ」

 3年ほど前、近所の奥海神社で、うち捨てられていた1枚の板を見つけた。明治中期にさい銭箱を奉納した大工の出身地が「美作国」と記されていた。

 安本さんは板の汚れをぬぐうと、目立つように境内の社務所に掲げた。薄れゆく地区の歴史をことさら強調するつもりはない。ただ、自分たちのルーツを物語る大切な証しが、いとおしく思えたという。

 兵庫の広大で多様な風土を表すキーワード「五国」。そのくくりから外れる備前、美作の地域はごくごくわずかだが、独自の存在感が光彩を放っている。

(記事・小川 晶 写真・大山伸一郎、斎藤雅志)

西の端はこんなとこ
神戸新聞NEXT
神戸新聞NEXT

 山間部にジグザグ状に入り組む兵庫・岡山県境。国土地理院のデータによれば、上郡町行頭(ゆくとう)が、佐用町大日山(おおびやま)との“兵庫西端対決”をわずかの差で制している。

 標高約300メートル。林道が途切れ、人の手がほとんど入っていない雑木林が広がっているという。近くには、県営安室ダムや別荘地の「播磨自然高原」などが点在する。上郡町を東西に貫き、岡山に通じる県道90号沿いには、備前と播磨の国境を示す石碑が立っている。

天気(9月21日)

  • 28℃
  • ---℃
  • 0%

  • 25℃
  • ---℃
  • 10%

  • 28℃
  • ---℃
  • 0%

  • 29℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ