第9部 ゆく際(きわ)、くる人
兵庫県最北端は豊岡市竹野町。集落で見つけたハリセンボンは魔よけと信じられていたが、今はほとんど見られない。12月8日の「コト八日」にまつわる風習を県内外に追うと、製鉄と風習の伝わる道が重なり合った。

JR竹野駅(豊岡市)でスタンプを押すと、図柄はハリセンボンだった。
冬の竹野といえば、松葉ガニなのに…。いぶかりつつも浜辺へ足を延ばすと、焼き杉板の古い家並みが。ここは北前船で栄えた町。路地をさまよい歩いていると、時を旅するようだ。
おや、軒先にぶら下がるのは、ハリセンボンでは。「魔よけと聞いてます」と住人の東實千代(みちよ)さん(76)。2006年冬、大量にハリセンボンが打ち上げられ、地元の商工会がふぐ提灯(ちょうちん)に加工したものだという。
温・熱帯の魚と思いきや、城崎マリンワールド(同市)によると「対馬海流に乗り北上し、冷水で弱って流れつく」のだそうだ。
それを魔よけにする風習が12月8日の「八日吹(ようかぶ)き」。旧暦では1月半ば。ウラニシという西風が吹き、海が荒れる日とされた。
だが、ここ10年はハリセンボンは姿を見せず、特産品化も泡と消えた。「コト八日」というこの日のさまざまな行事も、時のかなたに消えつつある。

「うそついたら針千本のーます」
昔からの指切りのまじないだが、ハリセンボンもうそと無縁でない。浜に吹き上げられるのは、竜宮さんの釣り針を盗んだのに盗んでないとうそをついたから-。兵庫県新温泉町浜坂の古い八日吹(ようかぶ)きの説明だ。
「コンニャク飯や豆腐を食べる」とも、1974年の民俗調査報告書「但馬海岸」にある。当時関わった山田寿夫さん(77)=豊岡市竹野町=は「ハリセンボンはちらほらあったんですが、内容は分からなくなっていた」と振り返る。
ところが、県境を越えた鳥取市では「八日吹きに『うそつき豆腐』をしてますよ」。かやぶき民家のある河原歴史民俗資料館で、民俗行事を語る会の谷幸彦会長(82)が言う。
いろりで焼いた豆腐にゆずみそを塗り、田楽にして食べると「1年のうそが帳消しになる」。廃れていた風習を40年前に復活させた。
「鳥取の城下町は豆腐屋が多く、ごちそうだった」と鳥取市教育委員会の佐々木孝文文化財専門員(49)。因幡(いなば)の霊山・摩尼(まに)寺に参拝し、豆腐を1丁食べる習わしで、昭和30年代までは新聞に豆腐の売り上げ統計が出るほど盛んだったという。
藩主池田公は、豆腐を精進料理として奨励していたことが知られる。池田氏といえば、姫路藩、岡山藩の藩主でもある。播磨の北の宍粟市、鳥取・岡山県境の千種町西河内(にしごうち)では「『八日待ち』の日は豆腐を作り、いろりの鉄鍋で野菜と汁にした」と小原千鶴子さん(86)。「八日待ちやでうそ言うて去(い)んじゃろ、と言うて学校から帰った」と懐かしむ。
旧美作(みまさか)国にあたる佐用町海内(みうち)では「山の荒神さんを祭って、豆腐汁と赤飯をした」と井上輝人さん(70)。きこりや炭焼きの「ヤマ始め」で、お酒も出るごちそうだったという。

針に豆腐やコンニャクといえば、針供養。これも12月8日の行事だ。
姫路城北、藩祖を祭る姫路神社。祭壇の大きなコンニャクに、和裁士の女性らが使い古した針を刺しては手を合わせ、針塚に納める。
「この日は仕事をお休みにして、晴れ着で出掛ける楽しみもある」と中山きみ子さん(69)。神戸・新開地の厳島神社では「コト始め」の2月8日だが、姫路では約45年前に始める際、「コト納め」の日とした。
富山では、その名も「針歳暮(はりせんぼ)」。針を刺す大福餅を、嫁の里から贈る風習が今も珍しくないという。
鉄は鉄でも、金物の町・三木市であるのは針供養ならぬ刃物供養祭。鍛冶の神・天目一箇命(あめのまひとつのみこと)などを祭る金物神社の、ふいご祭の一環だ。
烏帽子(えぼし)装束の御番(ごばん)鍛冶の4人が、ふいごで炉に風を送り、赤く熱した鋼から古式ゆかしく金物を鍛える。斎場では、護摩木とヒバがたかれ、炎に古刃物が投げ込まれる。
だが、これとは別に、古くからの鍛冶屋のふいご祭がある。
のこぎり鍛冶の神澤俊作さん(65)がこの日、家を出るのは午前6時。小さく握った赤飯と三角の油揚げを提げて、お稲荷さんを順番に巡る。「風が吹いて寒い方がええねん」。ふいごの風が景気を呼ぶとされた。
ミカンも付きもので、赤飯と共に近所や得意先に配る。ミカンの木にふいごの神が天下った伝承があり、鍛冶の炎の象徴とも。配り物はだんだん「近い親戚だけ」になってきたが、早暁参りは「神さんごとだから安直にやめられません」。

コト八日とは「製鉄神を祭る行事だったのでは」と民俗学者の三田村佳子さん(67)=京都市=は考える。
「一つ目小僧に足一本なあに?」というなぞなぞがある。答えは針。天目一箇命など製鉄神は一眼一足であるといい、針はまさしく象徴だ。炎を見つめ、ふいごを踏み続ける、たたら吹きの過酷さによる障害が、一眼一足の由来といわれる。
たたら吹きは元々、強い季節風が吹く冬の仕事。八日吹きの「吹く」に通じ、ハリセンボン(ハリフグ)や「うそぶく」へと連想が働いた-という解釈だ。この日、東日本では一つ目の妖怪がやって来るとの伝承があるのも一脈通じるものがある。
千種鉄で名をはせた千種や佐用は中国山地の「たたら文化圏」の一角。鉄の道とコト八日の伝播が、重なり合って見えてくる。
北の端から播磨の針、兵庫五国の“際(きわ)”の旅は極めて多様で面白い。
(記事・田中真治 写真・大山伸一郎、斎藤雅志)

竹野川から“タケノブルー”の日本海に突き出た猫崎半島。猫がうずくまったような形には「お昼寝キューピー」の愛称も。天然の風よけとして、江戸時代には北前船の寄港地たらしめ、今は山陰海岸国立公園だ。
遊歩道から見下ろせば、火山岩や海食崖のジオパークらしい地形を楽しめ、標高141.4メートルの賀嶋(かしま)山を息を荒らげつつ越えると、猫埼灯台の先にパノラマが広がる。片道約1時間のコースである。